007は優柔不断

やりたくないって言ったり、

 

やるかもって言ったり、

 

やるくらいなら手首切るって言ったり、

 

やっぱりやるかもって言ったり、

 

やらないと親友が答えたり、

 

高額提示されても断固断ったり、

 

世界最高の仕事だからやるって言ったり、

 

 まだ決めてないって言ったり、

 

やっぱりやるって言ったり、

 

 と、世界中のボンドファンをやきもきさせてきたダニエル・クレイグでしたが、ようやく次の『007』もやる決心をつけたそうです。そういやダニエル・クレイグになってからのボンドもいつもやるだのやらないだので悩んでいる気がするぞ!

 

 何はともあれ楽しみです。

 

 

戦時中の祖母の話

  • このブログにも描いていた通り、卒業する直前の7月末から8月初頭は母と祖母とアメリカ南部旅行をしていた。長時間のドライブをしたこともあって話が弾み、今まで聞いたことのないような母と祖母のいろんな思い出話を聞いて楽しかった。
  • ニューオーリンズでは第二次世界大戦博物館に行った。英語の展示だけなので祖母には分からなかっただろうか、色々と記憶が刺激されたそうで当時のことをたくさん話してくれた。ちなみに祖母は1935年生まれなので戦時中は6歳から10歳の頃だ。メンフィスのエルヴィス・プレスリーの家を観に行った時、祖母は「エルヴィスさんはおばあちゃんと同い年ね」と笑っていた。
  • その時の話が中々興味深く、今日は終戦記念日ということもあるので電話で改めて体験談を話してもらったので、ここに記録として残しておこうと思う。
  • 祖母は戦時中福岡県福岡市西区百道町(現早良区西新)で暮らしていたそうだ。一番鮮明に記憶が残っているのは福岡大空襲の日に焼夷弾が落ちて来た時だという。祖母の一家は防空壕に避難したが、焼夷弾は迎えの家と隣の家を焼いたものの奇跡的に祖母の家は無事だったらしい。
  • 子供ながらに怖かったが、防空壕で寝ていると母親(僕の曽祖母に当たる)に「ほら、綺麗よ〜」と起こされた。見てみると燃えている町に照らされたB-29だった。
  • 僕の曽祖母は空襲の際、押入れにあったお布団をひと抱えで防空壕まで運び、その火事場の馬鹿力は後々に語り継がれる笑い話となったらしい。なんだか『この世界の片隅に』みたいな話だ。
  • 基本的に一家代々教員を務めていた祖母の家からは誰も出征しておらず、一番年上の従兄弟は兵舎に入ったが戦地に赴くことはなかったという*1。戦争に取られたのは僕の曽祖父が趣味で作った蓄音機が金属類回収令で没収されたくらい。前述の大空襲でも家は無事で誰も亡くなっていないので祖母が戦時中の時を話すときは少し楽観的にも感じる。大空襲で通ってた小学校も焼けたが、曰く祖母の被害は「学校に置いておいた習字道具、それと友達に貸していたナントカという本が焼かれた」のだそうだ。
  • とはいえ、詳しくは聞かなかったが、祖母は疎開などで6年間に小学校を三回変えざるを得なかったそうだ。子供の時に頻繁に環境や友達がころころ変わるのも辛かっただろう。比較していいのか分からないが僕も父が転勤族だったのでちょっと分かる。
  • 僕が一番好きな話は祖母の近所に住んでいたドイツ人の話。おそらく九州大学で教鞭をとっていた教授の家で、その家には祖母と同い年くらいの娘がいたらしく、ある日道端で出会った祖母とそのドイツ人少女は仲良くなった。もちろん、祖母はドイツ語もしゃべれず、ドイツ人の女の子は日本語も話せないのでどうやって会話をしていたか定かではないが、僕の祖母は僕のベトナム人の友達と二人きりになっていた時もお互いに言語が通じないまま会話が通じていた*2ので、どうやらそういう特殊能力を持っているみたいだ。祖母はその子を「カズエちゃん」と読んでいた
  • 仲良くなった二人はお互いの家をよく遊びに行っていたらしい。しかし祖母はカズエちゃんの家にある洋式トイレがどうしても慣れなくて、トイレに行きたくなったときは毎度家まで帰ってからしたという。カズエちゃんもカズエちゃんで祖母の家に遊びに行ったときどうしても裸足になれず、祖母の家は足袋を貸してあげたそうだ。
  • すごく微笑ましい話だが、カズエちゃんは終戦と同時にすぐドイツへ帰ってしまったそうだ。もっと仲良くなりたかっとのに残念やった、と祖母。
  • 玉音放送が流れた日のことも覚えており、家族全員仏壇の間に集められたそうだ。子供だったのでラジオ放送の内容はあまり分からなかったが、周りの大人が泣いていたのは印象深かったそうだ。一番上の大学生の兄が説明してくれてようやく日本が負けたことを理解したらしい。負けたことについてどう思ったかを聞くと「いやあ、負けたんやね〜くらいにしか思わんやった」とのこと。まだ子供だったので当然か。
  • ちなみに直前まではラジオでは日本が勝っている様子が放送されていたので誰も日本が負けるとは思っていなかったそうだ。
  • 戦時中はまだ子供で奇跡的にも悲劇的体験はしなかった祖母だが、戦争についてどう思うかを聞くと、「戦争とか二度としてもらっては困る」と力強く述べていた。
  • ちなみに今回話してくれたのは母方の祖母で*3、10歳年上の父方の祖母は常日頃戦争を恨むような発言をしていたのでこちらからも貴重な体験談を記録しておきたかったが、2年前は元気だった父方の祖母は僕が渡米した途端に半身麻痺となってしまい、現在は会話するのも一苦労の状態になってしまったことが非常に悔やまれる。戦後も72年経ち、当時を知るものが年々少なくなってきているので、皆さんも身近に戦争体験者がいたら是非とも後世のためにも話を聞いてみてください。
この世界の片隅に
 

 

*1:たまにお見舞いにかこつけてよく水筒にお酒を入れて持って行ってあげていて、祖母は兵舎に遊びに行くのが楽しかったそうだ。

*2:これには本当に驚かされたのだが、あとで二人別々になんの会話をしていたか確かめてみると概ね合っていた。ちなみにカズエちゃんとどうやって会話をしたのか聞いたら「どうやって会話しよったっちゃろうかね」とケラケラ笑っていた。

*3:僕は今回の通話を録画しているので、いつかどこかで公開したいと思っている。

デトロイトとシャーロッツビル

 キャスリン・ビグロー姐御の『Detroit』を観に行ったっす。夜最後の回で2時間半も尺があったのでヘトヘトだけど、いつも通りの凄まじさ。まるで映画3本の別々の映画を観終わったかのような骨太さ。

 

 デトロイトで怒った暴動と人種差別を描いたこの映画が、ちょうどシャーロッツビルの暴動が怒っている同時期に公開されたのは何かのイタズラとしか思えない。『Detroit』の冒頭では暴動が起きる背景がアフリカンアートテイストなアニメーションで説明されていた。今回のシャーロッツビルで白人至上主義者達が黒人女性に対し「アフリカに帰りやがれ!」とシュプレヒコールをしていたが、一体誰がアフリカから連れて来たと思ってるんだろう。彼らが誇らしげに掲げている南部連合の旗の意味がわかっているんだろうか。

 

 

 

アメリカ流ホラーの見方

 ついさっき今日公開されたばかりの『アナベル 死霊人形の誕生』を観てきた。昨日の先行上映の結果おそらく今週末の興行収入トップに躍り出ることを予想されているだけあり、夜一番最後の回にもかかわらず客席は埋まっていた。

 

 アメリカ人の映画鑑賞スタイルが感情豊かなのは知られていると思うが、ホラー映画となるとまあ凄い。登場人物がホラーあるあるな行動を起こすと「何やってんだよ、早く逃げろ!」「バカ、扉を閉めろ!」「なんで戻るんだよ!」と、観客席のあちこちから「志村後ろー!」とばかりに叫び声が入る。

 

 一見映画のバカな展開に呆れてツッコミを入れてるのかと思うけど、思った通りの展開になると「アンギャーー!」って悲鳴があちこちで上がるの。今日の隣に座ってた黒人の兄ちゃんなんて驚きすぎて立ち上がったからね。邪魔だよ!

 

 怖い映画見てるつもりなのに(実際『アナベル2』のホラー演出は素晴らしく怖くできてる)、周りの過剰な反応が面白くてついつい笑ってしまう。ある意味迷惑だよ!

 

 一体この人たちはどういうつもりでホラー映画にツッコミを入れてるんだろうと考えると、多分「押すなよ、絶対に押すなよ〜!」と映画の登場人物達の前で熱湯風呂の上を歩く感覚を楽しんでるんだろうね。