移民の歌

 トランプ大統領は公約通り、DACAを終わらせることを宣言した。DACA(Deferred Action for Childhood Arrivals)は子供の時にアメリカに渡った不法移民に就労や就学の許可を与える制度。2012年のオバマ政権の時に施行され、二年間おきに更新することで強制退去が免除された。これは不法移民を管理するものでもあり、不法移民の子供達を守るものでもあった。

 

 というのも、例えばホンジュラスやグアマテラなどはクーデター以降政治的混乱が続き、世界で最も殺人件数が多い。失業率も高く、教育も不足していて子供たちは大半がギャングに入って殺されていく。そうした環境から我が子を守るため、高い金を払って危険を冒して親たちは子を連れてアメリカに渡った。*1

 

 そもそも親からアメリカに連れてこられた移民の子供達に、親についていく他選択権はない。既にすっかりアメリカの生活に馴染んで成人した彼らの中には母国語を忘れているものもいる。母国にも居場所がなくなった彼らに責任を問うのは酷なのでDACAは出来た。

 

 実は、僕がアーカンソーで二年間ずっと一緒に過ごした親友のメキシコ人もDACA取得者だ。このブログでも度々「メキシコ人の友達」として登場してきたが、名前をダニエルという。しかし、皆はあだ名の「ポヨ(ひよこ)」と呼んでいた。

 

 ポヨはいつも会うとニコニコしている。色んなことを知るのが好きなやつで、様々な国からの留学生と好んでつるんでいた。基本的なポジティブな性格で友達も多く常に笑っているのが印象的だったが、ポヨが唯一不機嫌になる瞬間はドナルド・トランプが話題に上がった時だった。

 

 先週NYまで二人でドライブをした時、フィラデルフィアに寄った。デラウェア川に架かる橋を観た時、「国境を越えた時を思い出すよ」と笑いながらポヨは言った。今までポヨが不法移民だと知っていたけど中々詳細は聞きづらかったので、その時二年間で初めてどうやって彼が子供の時にアメリカに渡ったかを聞いた。彼にブログに載せて良いか許可をとっていないのでここに書くのは差し支えるが、まるで映画のような話だった。

 

 ポヨは明るい。実の兄や姉とは15年以上あっていないし、アメリカの特に南部での生活は色々と大変だったろうが全ての話をジョークにしてしまう。僕の忍者の映画に出てもらってテロリストと間違われて通報されてしまった時、ポヨは僕と一緒に調書を書くことになった。申し訳ないと伝えると「大丈夫、書くの初めてじゃないから」と笑っていた。

 

 トランプがDACA撤廃を発表し、ヒスパニックのコミュニティの間で不安が広がっても、意外と、というべきかやっぱりというべきが、ポヨは楽観的だ。「一気に80万人のDACA取得者を送り返す金なんて無いからすぐには影響しない」「多分議会でなんとかなるでしょ」「そもそも既に更新してるからあと2年は大丈夫」と今日こちらが心配しているとテクストで返事が来た。実際、呑気にサッカーをしているところをインスタグラムストーリーにあげていた。

 

 「メキシコに帰らされたら帰ったでそしたら世界中旅しやすくなるから日本に行けて良いなぁ」とポヨはフィラデルフィアで笑っていた。そんなポヨの唯一の心残りはポヨが娘のように可愛がっている従兄弟のジェシカちゃんだ。10歳になったジェシカちゃんはアメリカ生まれの歴としたアメリカ人であり、ポヨや家族が強制送還となったら取り残されてしまう。

*1:町山智浩著『さらば白人国家アメリカ』より引用

 

さらば白人国家アメリカ

さらば白人国家アメリカ

 

 


【Taiyaki生きてます通信#17】NYに引っ越しました。

 ここのところずっと忙しいアピールをしておりましたが、実は大学を卒業してアーカンソーからニューヨークに引っ越しをしておりました。アーカンソーからニューヨークまで18時間をメキシコ人の友達とレンタカーで二日間で運転し、途中ケンタッキー州の創造博物館やフィラデルフィアにも寄ったので、その旅の記録は今週中にアップします。

 

 ひとまず何故ニューヨークに移ったのかを軽く説明すると、9月からこちらの会社でお世話になることになりました。僕は一浪もしてるので日本の四年制大学を卒業して更に二年間アーカンソーの大学に留学し、人より三年遅れてようやく社会人デビューとなります。

 

 今ピースの綾部がニューヨークに行くということで、結構皆バカにしてるじゃないですか。でも、僕は中々笑えなくて。いや、綾部が何を考えているかは知らないけれど、少なくとも僕がアメリカに渡った理由はアメリカなら「何とかなりそう」と思ったからだ。

 

 もう恥ずかしいから読み直したくないけど、僕は2年前このブログに留学を決めた理由を「負けっぱなしの人生だからだ」と書いたと思う*1。当時は就活に失敗し元カノにも振られ、より一層その気持ちが強かったのだろう。自由の国アメリカに行けば何かが変わる気がした。ただ、今でも基本その気持ちは変わっていない。この2年で何か大きなことを成し遂げたわけではないし、依然自分の人生には「成功体験」が圧倒的に欠如していると思う。

 

 それどころか、大きな野心を抱いて渡米したのに、まさか2年もド田舎に閉じ込められるとは思わなかった。学部の学生たちは誰も映画なんか見ていないし、24pと30pの違いなど基本的な撮影用語も知らなくてイライラした。一方で初心とは裏腹に毎週友達と酒を飲んでバカやったり、忍者の映画を撮ろうと思ったらテロリストと間違われて通報されたりした。*2

 

 ただ、この2年はこれ以上なく楽しかったのは間違いがない。アーカンソーは所謂バイブルベルトという白人だらけの超保守的な地域であるにもかかわらず、僕が住んでいた街は学芸都市ということもあって色々な国から来た留学生と知り合えた。色んな言葉を学んだ。中々狂ったキリスト教原理主義者の考え方を知った。ウィーアブーな人たちを知った。ムスリムラマダンに参加した。友達のレストランのCMも作った。トランプ大統領誕生の瞬間を見た。フラタニティーのパーティーに潜入して追い出されかけた。エリア51まで一人旅をした。不法移民の親友もできた。ベトナム人に振られた。中国人の彼女もできた。映画も作った。

 

 大変に貴重で濃密な二年間であり、視野が各段と拡大した。本当は僕は留学が終わったら日本に帰って就活しようと渡米前は思っていた。でも結局しばらくはまだアメリカにいようと思ったのは、「何とかなりそう」と漠然としていた当初の目的よりも、「まだ何かがありそう」という漠然とした好奇心が勝ったためだ。

 

 また読み返すのが恥ずかしくなるような文章を書いてしまったが、別にこれといってブログの方針が変わるわけでもなく、平常運転でグダグダ毎日詮無いことを更新して行くだけです。これからも当ブログ並びに管理人のTaiyakiをよろしくお願いいたします。

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