10度、20度、30度!

 個人的に衝撃だったのは、スマイル党総裁のマック赤坂が準強姦容疑で逮捕された事件。

 

 僕が日本の大学生だった時、大学祭でマック赤坂が講演に来て「マック赤坂の愛人コンテスト」などという正気の沙汰とは思えない企画があり、その企画後に女子大生限定でマック赤坂とディナーに行ける招待券が特典としてついていた。確か後輩の女の子が面白半分で参加していたけれど、今となっては笑い話にならず何もなくて良かったね、という怪談になってしまった。

 

 しかし、この事件に何となくやるせなさを感じるのは、これまた大学生の時マック赤坂をフィーチャーしたドキュメンタリー『立候補』をポレポレ東中野に観に行ったからだ。この映画に写るマック赤坂はかっこいいのだ。

 

 

映画「立候補」

映画「立候補」

 

不祥事を犯したから自主規制してるのではなく、元々こういうデザインのポスター 。

 

 映画『立候補』は、当選する見込みが極めて薄いのにもかかわらず出馬をする所謂泡まつ候補を追ったドキュメンタリーだ。実は日本で選挙で出馬するには供託金がかかり、例えば衆院選小選挙区参院選の選挙区に出馬するだけで300万円の供託金を納めないといけないのだ。この映画にはマック赤坂の他、ドクター中松、故羽柴秀吉外山恒一など泡まつ候補会の巨匠たちがこぞって出演しているが、毎度毎度懲りずに選挙に出馬している彼らは実は毎回300万円もの大金を工面して選挙に出馬しているのだ。

 

 『立候補』は選挙をゲームに見立てて、供託金をゲーセンのコインのように表現しているのが面白い。何故泡まつ候補と世間からバカにされる彼らは安くない供託金を毎度払って選挙という勝てる見込みのないゲームに参加するのかに迫ったドキュメンタリーが『立候補』なのだ。

 

 その中で主役に添えられているマック赤坂がやはり格別に面白い。マック赤坂と言えば奇を衒った政見放送が有名だ。毎度コスプレをして正気とは思えない政策を述べて時折カルトとしか思えないスマイルセラピーを挟むのがお馴染みのスタイルで、世間からの笑いの的として選挙シーズンの一種の風物詩となっている。しかし、この『立候補』を見ると自分の政見放送を見て爆笑しているマック赤坂が写るのだ!「俺が見て笑えるんだもん、面白くなくないわけがないだろ!」と劇中マック赤坂が呟くが、意外と客観的に自己分析出て来ているマック赤坂は案外世間が思っているほど頭のおかしい人ではないのかもしれない。

 

 白眉となるのはクライマックスで、マック赤坂はなんと単身安倍晋三と対峙する。これから見る人のために詳細は書かないが、「帰れ!」「ゴミ!」「売国奴!」などと安倍晋三の支援者に罵声を浴びさせられ、安倍晋三にも鼻で笑われてもマック赤坂は堂々と立ち向かう。そう、これは300万円という安くない供託金を払い続ける男たちの戦いなのであり、マック赤坂の目には並々ならぬ闘志と覚悟が燃えているように見える。更にこのシーンで泣かせるのが、長年不仲であったマック赤坂の長男の叫びなのだが…ここはこれから見る人のために伏せておこう。

 

 何はともあれ『立候補』のマック赤坂根本敬の「でも、やるんだよ!」精神を体現していた男で、あのドキュメンタリーを観てからは密かに応援していた。だからこそ、この結果には心底残念でならないし、傷付けてしまった女性には一刻も早く罪を償うべきだ。でないと、あの時叫んだ息子の気持ちが報われないよ。

マットペインティング

 同僚のあみん と一杯だけのつもりが三杯くらい飲んでしまってほろ酔い気分でまともな更新ができる気がしませんが、頑張って最近ハマっているマットペインティングの動画を貼ります。

 技術としてのマットペインティングは本で読んで知っていたものの、こうしていかに映画内で効果を発揮しているかをメイキングと共に観てみるとまさに百聞は一見にしかずと言う感じで、『スター・ウォーズ』シリーズはどれも死ぬほど観てるのに「え、あの引き画はほとんど絵だったのか!」と今更知って目からウロコが落ちること間違い無しです。こんなアナログな手法で世界観を広げていたと考えると胸熱ですね。

 

 個人的に一番好きなマット・ペインティングは『レイダース/失われたアーク』の一番最後のショット。

 

 最後の引き画に映る木箱、全部絵なんですって!ひょえ〜!ちなみに僕このシーンを大学時代に撮った怪獣映画で再現したんですけど、その際は大量の段ボールを仕入れて並べました。

 

 もしこの映画撮った時にマット・ペインティングを知っていたら、多分あの引き画も再現しようとしていたに違いませんが、合成を担当していた同期と後輩には多大な迷惑をかけていただろうなぁ。

 

マットペインティング ハンドブック - The Digital Matte Painting Handbook 日本語版 -

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  • 作者: David B. Mattingly (デヴィッド B.マッティングリー),高木了,序文:Harrison Ellenshaw (ハリソン・エレンショウ),株式会社Bスプラウト
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『クレイジー・リッチ!』に泣く

 仕事終わりに急いで『クレイジー・リッチ!』を観に行く。詳細はツイッターに短評を呟いてからにしたいが(とここで他にも6本くらいまだ呟いてない映画があると気付いて頭が痛くなってしますが)、そんなことはさておきもうギャン泣きするくらい最高の映画体験だったことをここに報告しておきたい。平日夜の回にも関わらずAMCエンパイアの大スクリーンのハコがほぼ満員。

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 AMCでは火曜は$5の日とはいえ、口コミが広がってるんだろうなぁ。だって面白いんだもの。満席の観客が(特にオークワフィーナが出てる全てのシーンで)爆笑して、スカッとする瞬間には拍手が起こり、当然エンドロールも拍手。なんかもう映画の出来そのものというより、こんなにウケてる!と思うだけで泣いてしまった。丁度この感覚は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』イヤーに3部作を観に行って六時間泣きっぱなしだった時と似ている。

 

 

いやあ、ええ体験した!

 

クレイジー・リッチ・アジアンズ 【上下合本版】

クレイジー・リッチ・アジアンズ 【上下合本版】

 

 

 

ファンタジーの邦題

 『ホステル』『グリーン・インフェルノ』など数々のゴアホラーを世に生み出してきたイーライ・ロスの新作が児童向けファンタジー小説が原作で、思い切った起用に驚きつつ子供たちにどんなトラウマを残してくれるのか今から楽しみなんですが、邦題が『ルイスと不思議の時計』になると今更知りました。(原題は『The House with a Clock in Its Walls』)

 

 この原作小説の日本語版タイトルも『壁の中の時計』なので更に邦題に変更が加えられたんですけど、そういえば児童向けファンタジー映画の邦題ってやたらと『(人命)と/の(名詞)』が多いことに気がついたので、今日は原題とだいぶ違う児童向けファンタジー映画の邦題をまとめてみましょう。

 

ライラの冒険 黄金の羅針盤』(原題『The Golden Compass』)

シリーズ化の話はどこに行ったのでしょうか。

 

ヒューゴの不思議な発明』(『Hugo』)

 この手の邦題で一番ひどいと思うのは本作で、だって劇中でヒューゴは何も発明してない!

 

ヒックとドラゴン』(原題『How To Train Your Dragon』)

ヒックとドラゴン (字幕版)

ヒックとドラゴン (字幕版)

 

邦題だけでなく、主人公の相棒Toothless(歯無し)がオードリー春日のギャグのせいでトゥースと真逆の名前に変更されたり、評価が高いシリーズなのに2作目が日本ではDVDスルーになったりと、日本のファンを常に怒らせることで有名な作品。今度3作目が公開されるが、果たして…?

 

メリダとおそろしの森』(原題『Brave』)

メリダとおそろしの森 (字幕版)
 

まあ確かに『Brave』は訳しにくいタイトルだと思う。 

 

アナと雪の女王』(現代『Frozen』)

アナと雪の女王 (字幕版)

アナと雪の女王 (字幕版)

 

これらの作品群の中でも説明不要なビッグタイトル。

 

バーバラと心の巨人』(原題『I Kill Giants)

I Kill Giants
I Kill Giants
 

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10月に日本公開が控える本作は、タイトルどころかビジュアルイメージもまるで変わっている。

 

プーと大人になった僕』(原題『Christopher Robin』)

プーと大人になった僕

プーと大人になった僕

 

 現代の時点でシンプルな人名だったのに、邦題は見事にフォーマットに則ったタイトルに!ちなみに先週末観てきたんですけど、プーさんの映画を見ているとは思えないくらい陰鬱とした映画でした。 

 

こうしたファンタジー邦題の傾向の原因は何だろうって考えると、多分ジブリの影響だと思うんですよね。やはり日本ではファンタジージブリという認識が強いので、その影響力を考慮したマーケティングではないかと。『ハウルの動く城』とか『風の谷のナウシカ』とか確かに人名が入ったタイトルは多い。皆さんも何か見つけたらコメント欄とかで教えてください。

カリブの海賊日誌・後編

これらの記事の続きです。

 

バルバドスの街並み

 バルバドスは車で3時間もあれば一周できるほど小さい島だ。その島で最も発達しているのが首都ブリッジタウンである。ブリッジタウンという名の通り街中に橋が架けられている。船舶も多く停泊しており、『パイレーツ・オブ・カリビアン』に出てきそうな港町だ。

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 建物はまるでイギリス植民地時代を真空保存したかのよう。ニューオーリンズにちょっと似ているし、バルバドスにもニューオーリンズという地名がある。

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 街を離れればこんな感じ。少し高度が高い場所に行くだけで水平線が見えてしまう。

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 ところでバルバドスの通りを歩いていて気づいたことが一つあるのだが、バルバドスにはマクドナルドがない!代わりによく見かけるのはケンタッキーフライドチキンと現地のチェーン店であるシェフェテ(Chefette)くらい。調べてみると過去にもマクドナルドは存在したそうだが、基本的にバルバドスでは魚と鶏肉しか食べられていないので全くはやらず、6ヶ月を待たずに店を畳んでしまったらしい。アメリカ資本主義がどこにでも通用するわけではないのだなぁ。

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 シェフェテはこのチキンローティってやつがべらぼうに美味い。チキンカレーを包んだラップで500円くらいで食える。

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バルバドスの歴史

 せっかく南国の島には来たが、スーパーインドアマンな僕は海水浴にはあまり興味がなく、というか友達も家族も恋人もいない状態で海で一人で泳いで楽しむっていうのが僕には理解できなかった*1。ただバルバドスという国や文化自体に興味は尽きなかったので、バルバドスの歴史博物館に足を運んだ。

 

 歴史博物館といっても大層なものではなく、この外観写真を見れば分かるような小さいものだった。チケットブースも何もなく、ただ警備員が一人だけ座っている受付で20バルバドスドルを寄付金として払うように指示されて入館する。ちなみにバルバドスドルは基本的にドルの半額で、なんなら米ドルだってバルバドスでは使える。単純に表示されているバルバドドルの半額をドルで払えば良い。しかし小さい博物館のくせして写真撮影を禁じられていたのは残念だった。残念だったと思うくらい展示物が興味深い。

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 元々多くのカリブ海の島国と同じく、バルバドスには先住民(アメリインディアン)が住んでいた。先住民たちは南米のガイアナから渡ったとされるが、詳細は分かっていない。何故なら先住民たちはもうバルバドスには残っていないからだ。16世紀から17世紀にポルトガルやスペインの奴隷商船によって無人島化されてしまったそうだ。そうだ、という濁した言い方をしたが、これには諸説あるらしい。しかし、いずれにせよ北米や南米、はたまたその他カリブ海の近隣諸国と同様に西洋文明によって先住民たちがひどい仕打ちを受けてきたことは間違いがなく、その記録もあまり残っていないというのもむしろ残虐性を際立たせていて恐ろしい。

 

 無人島化されたバルバドスを植民化したのはイギリスで、砂糖のプランテーションのために大量の奴隷が西アメリカから連れてこられた。現在のバルバドス人口の9割が黒人であることは前編で書いたと思うが、彼らは皆奴隷の子孫であったのだ。奴隷制は200年近く続いたが、奴隷たちによる大規模な反乱を契機に19世紀初期に廃止された。奴隷制が廃止されて以後も白人農場主による独占政治が続いたが、黒人たちによる参政権運動が行われて1930年代末にようやく黒人奴隷の子孫にも参政権が認められた、というのが大まかな歴史である。

 

 如何せん写真を撮っていなかったので詳細は忘れてしまいだいぶ端折ったが、バルバドスの民主化の流れはアメリカの公民権運動と実によく似た流れを辿っている。しかし、市民権を勝ち取ってそのまま社会の中心にいる役割を果たせたバルバドス人たちと比べて、アメリカの黒人たちは公民権運動を終えた後も変わらず50年間社会から圧迫され続けいている。差別などなさそうで陽気で幸せそうなバルバドス人たちの姿からそんなことに思いを馳せてしまった。

 

 

 

*1:と書いたものの、NYに帰る直前に「でもせっかくバルバドスに来たんだから海行かないと!」と半ば義務感で水着とシュノーケリングゴーグルを急いで高い金出して買って泳ぎに行ったが、やっぱ泳いでる間に荷物盗まれんじゃないだろうかとか、やっぱり一人で黙々とただひたすらに泳いでるのって間抜けな画だなぁとか考えると全く面白くなかったでござんす。