細田守の講義に行ってきたぜ!

 先週の土曜、朝から家でゴロゴロしてたらtwitter細田守で盛り上がっていた。なんでこの時期に?と思ったら、なんと大学に安藤紘平の講義で特別ゲストとして細田守が来るらしい!

 
 細田守は高校生だった僕が初めて"ハマった"監督で、細田守の『デジモンアドベンチャー/ぼくらのウォーゲーム!』はオールタイムベスト級に好きな映画だ。『時をかける少女』の絵コンテを買ったり、去年『おおかみこどもの雨と雪』が公開された際には地元のシネマイクスピアリで行われた細田守のティーチインに参加したりするくらい今でもハマっている。
 
 それほど敬愛している人が間近に来るんだから、こりゃ行くしかないぜ!ってことで、同じく講義に潜ろうとしている後輩に席をとってもらい急いで家を出た。潜りのクセに、後輩が引くほどメモを取って聞いたので講義をここにまとめたいと思います。流石に一語一句完璧にメモることは無理で、一部抜けてたり間違ってたりするかもしれませんが、ご了承ください。もし講義を受けた人がいてご指摘などして下さったら嬉しいです。
 

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(基本的に安藤紘平がゲストの細田守に質疑応答するという形の講義です。手元にあるメモを勝手に僕が文章にしたものなので、実際話していた内容と異なるニュアンスの文章があるかもしれません。)
 
Q 細田監督はいつ頃からアニメを作ろうと思ったのですか?
 
A 一番最初にアニメを作ったのは中学校三年生の時で、夏休みに自主制作アニメを作りました。もともと絵を書くのが好きで、書いた絵を映像にしてみたいと思っていました。たまたま読んだアニメ雑誌『アニメージュ』の特集で素人でもアニメが作られるということが分かり、作ってみようと。2コマ撮りで作ったので一秒間に12枚で1分くらいの作品、覚えてないですが1000枚くらいの絵を描きましたかね。内容は戦闘機と湖の中から現れたドラコンが戦うという、中学生らしいバカバカしいもので、夏休みの自由研究のノリで作っていました。そういう課題が実際に出てたわけではないんですけど。その時に映像作りは楽しいと思いました。
 
Q 大抵の場合、映画作りは大学に入ったらサークルなりなんなりで体験するというのが普通ですが、細田監督の場合は?
 
A 僕は高校卒業後は美大の油絵学科に入学しました。何と無く絵を仕事にしたいとは思っていたのですが、絵を描くのって一人ぼっちで寂しい作業なんですね。皆で何かを作ってみたいという思いがあって、辿り着いた先が映像つくりで8ミリビデオを使った実写やアニメ映像を作ったりしていました。
 
Q 会社など、アニメ業界のきっかけはいつから?映像だったらなんでも良かったんですか?
 
A 大学卒業時に東映動画、今の東映アニメーションという会社に入社しました。実はさっき話した中学生の時作った自主フィルムを当時東映動画のプロデューサに送っていて、その人に手紙を送ったら僕のことを覚えていて下さって入社させてすることになりました。
 アニメを作る、実写を撮るなどの区分のイメージはあったのですが、卒業した年はバブル崩壊前で、広告業界が華やかな時代で、CMで映画業界に名を馳せる人が多かった。でも、自分に何ができるのかと考えた場合にはやはりアニメかな、と。
 
Q それはやはり作家性を前面に出したかったからですか?
 
A 学生のころは映像を作りたかった。でも入社するともちろん社内ヒエラルキーの底辺で、その苦難を乗り越えても成功する保証はどこにもなかった。希望があって東宝に入った訳ではないです。
 
Q 『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』、これらの作品を観てアニメ業界の素人ながらすぐ感じたのは、身近なテーマがある一方、例えば『時かけ』の時空間や『サマウォ』のセカンドライフ、『おおかみこども』の狼男など、イマジネーションと非現実的な世界をくっつけておきながら違和感が全くないんですね。イマジネーションをメタファーとして考えようと思えば常に身の周りにあるような障害や希望とくっ付けられると思うんですが、あえてこの2つを結び付けて作っているんですか?
 
A いつも自分で企画を立てるとき、ファンタジックなものを作るのが好きと思われているかもしれませんが、実はいろんな物語を作るなかでファンタジックなものに感動するのではなく、身近なものを再認識するのを目指しています。皆さんも現実世界で何かアクションするときすぐ結果が返ってこないと思うかもしれませんが、実は人間世界はワクワクする物であふれているということをファンタジーで再認識してほしいな、という思いはあります。ファンタジーだけでは物足りない気がしますし、作り手自身がそれに気づくこともあります。
 
Q 細田監督の作品は普通のファンタジーとは一線を画している印象があります。例えば『おおかみ』のおおかみと花の結婚は、僕個人の経験で申し訳ないんだけど、外国人との結婚を連想させる。皆はどうか知らないけど、僕が君たちくらいの時は外国人と結婚するというだけで周囲からしてみれば一大事だった。ぼくらは皆病人である要素をみんな持てるかもしれないけど、皆と一緒じゃなきゃいけないという感覚は持っている。『サマウォ』はある種ネット社会の怖さ、ある意味原子力とかにも通ずるものがある。それと描いているものが田舎と最先端という両極端なもので、サイバーと現実が一緒になって攻撃するのは身近にありそう。日常でみんなが背負っている何かを見つめ直しているような気がします。
 
A ファンタジーは媒介とは言っても、生活に必要不可欠な気がします。思春期や自分が揺らいでいる時、別世界があるということに救われる思いというものが皆にもあると思うんですよ。それは会社に入っても同じことで、ファンタジーによって際どいところを救われた、ファンタジーにお世話になったことが多々ある。僕が作る作品もみんなにとって役に立つものになればいいなと思います。
 
Q 『時かけ』なんかでも、「あの時ああしていれば良かった」と思うことは誰しもありますよね。正解は誰にも分からないんだけど。イマジネーションの反芻は大事です。
 
A 映画を作りながら、後からどんな映画を作っていたか分かる気がします。例えば『時かけ』は後悔の映画かもしれないと気づいたことがあるんです。日本の女子高生を題材にした青春映画なのに、海外の映画祭などで国の区別なく受け入れられている反応を見ると、普遍的に人が共通して持っている何か、つまりこの場合は後悔に響いているんじゃないかと思いました。
 
Q 国際的な映画祭で監督の作品が賞賛されているのもそういうことなんじゃないでしょうか。監督本人は否定するかもしれませんが、細田監督の作品はどこか文学的な気がします。細かいところでみんな覚えていないでしょうが、『おおかみこども』で狼男が花に自分の正体を告白するシーン。二人の奥で星空がゆっくり動いていて、それが宇宙的な時間を感じさせる。手前の二人はもちろん現実的な時間で、星空は宇宙的な時間をずっと回っている。
 全てのシーンで語り過ぎておらず、観客にいろんな解釈をさせる。異質なものを理解させる歴史なようなものを感じさせます。こういう多義性のある語り口はどういう形で学んだんですか?
 
Q 映像にしても小説にしても、受け手によってもいろんな考えを結びつける余地があるのは面白いと思います。写っているものだけを見てストレートに受け取るだけではない面白さがあります。
 僕の映画でもいろんなシーンでそう言った仕組みをいろんな意味と結びつけたい。映画は一つの筋を追えばいいのであれば、映画を見る必要はなくプロットを読めばいい。色んな気持ちや比喩が織り込まれて行くのを発見していく喜びを感じて欲しいです。
 もちろん、アニメ制作期間はそんなに長くはないけど、膨大な情報を圧縮し、何かを見つけて欲しいという希望をその短い期間に放り込んでいく。実写特有の身体性や現実的な飛躍はアニメにはなく、アニメは絵で記号なので設計と織り込みが大事になってくると思います。
 
Q 個人で一つ加えれば作品は色んな意味を持ちますしね。つまり人によって作品を見れば個人的に理解していく。
 
A 違う理解があっても良いと思うんですよ。『おおかみこども』を「お母さんの話」として作ろうと考えた時に、世の中には色んなお母さん関係があると思ったんです。見た人それぞれのご家族の思い出と触れ合えれば良い。ジャンル映画っぽくする手段もありましたが、それだと取りこぼしてしまう者も多いのではないかと思いました。母親をモチーフにするのなら、このシーンはこういう事だと演出なども押し付けないようにはしていました。
 
Q 『おおかみこども』は終わり方も上手いです。あのラストシーンは解釈の仕方が色々あると思うんですよ。奇麗なハッピーエンドでもバッドエンドでもない。見る人に自由性があるのにきっちりと終わらせていますよね。
 
A 映画は色んな人が見るメディアなのでなるべく色んな種類の人を思い浮かべてつくのが大事。ジャンル映画は簡単です。というのも、例えばカンフー映画はカンフーファンのため、ホラー映画はホラー映画のファンの為のみに作れば良いので。でもそうでなければ自分の知らない境遇の人も考えなければならない。そんな中で見た人が何かを感じ取ってくれたら嬉しいです。皆母親中心につながりを持っているので。
 
Q 母親は必ず皆持っているものですしね。どういう境遇であれ。
 
A 母親に限らず、親は皆必ず持っています。でないと今この場に生きていないですしね。先ほど文学的テーマの話をしましたが、『おおかみこども』は自己を確立していく話ということで子どもの物語にする手もあったんです。しかし、それだけではなく母親側の物語成長譚とは何かと考えた時、子どもを育てる事によって親も成長するんじゃないかという仮説を立てて作っていました。当時はまだ子どももいなかったので。それを感じ取ってもらえれば嬉しいです。
 
Q 『おおかみこども』で最後ああいう形になりましたけど、親子とは不思議なもので、ある意味別れるために育ててるようなものですからね。雨が母親の元を去るのも、遅かれ早かれ子どもは親を離れていくものですから。
 

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(以下学生による質疑応答。ここで手が疲れてきた集中力が切れてきたで、余計にメモが雑で書起した文章が訳分からない事になっていますが、許して下さい。めんどくさくてメモってない質問もあります。)
 
Q 色んな声優でなく、俳優を使うのは何故か。
 
A 声優以外の人を起用するのはあんまり気にしていません。『時かけ』の頃からオーディションをずっとやってて人物に遭う人にお願いしています。TVも普段観ないので実は俳優や声優に詳しくはないんです。
 オーディションでは、台本は実はそんなにポイントではなく、その場での雑談を重視しています。生っぽい部分を大事にしたいんです。菅原文太さんは流石に当てたのではないかよく言われるんですが、全くそんな事はなく最初はイーストウッドのイメージでした。中々イメージ通りの人が見つからず、最後の最後で菅原文太さんにお願いしました。余談ですが、依頼をしたすぐ後に菅原文太さんが俳優引退を宣言してしかも農業を始めたので、作ってるこっちもビックリする結果となりました。
 
Q 東映時代の大変さを教えて下さい。
 
A まず僕の経緯を説明すると、東映に入って6年間はアニメーターをやっていました。その後東映社内の演出試験という物を受けて、それに晴れて合格してディレクターになりました。
 東映という会社は所謂版権ものを扱っていて、グッズで儲ける産業構造の会社です。言い方悪いけど、おもちゃのCMじゃないかと良く言われますが、作っている方はそうは思っていません。作る事によって学びたいと思っていたので、凄く喜んでやっていました。『デジモン』や『ONEPIECE』の映画をよくプログラム・ピクチャーなんて言って見下す人も多いんですが、やはり作るには才能がいる事だと思います。
 
Q 『ハウルの動く城』騒動について。
 
A それはWikipediaで知った情報ですかね?Wikipediaを全部信用してはいけませんよ。(会場内爆笑)
 まぁ、隠していてもしょうがないので言いますけど、自分としては作品を作るのは当たり前だと思っていたんです。東映での経験から短いスケジュールでも作れると思っていました。でも必ずしも上手く行くとは思わないのが現場。作れない作品って言うのは実はいっぱいあるんですよ。作れないという経験は貴重でした。映画は単純じゃない。しんどかったけど今となってみると大きな財産です。作品が出来て当たり前って思ってたけど、実は重要な事だなぁと、見れなかった事が見れました。今でも財産ですが、あんな思いは二度とゴメンです。できれば味わいたくはないです。
 
Q 『おおかみこども』で実際のロケ地が出てきます。中でも白十字の喫茶店を選んだ理由は。
 
A まず何故一橋大学かということですが、取り敢えず国立にしたかったんですね。お金がない主人公ですから。それで都内の中心にある大学にしたくなかった。また、大きすぎる大学はフレームの中に収め辛い、などと色々条件づけて考えた時に、自然と一橋大学になりました。
 白十字なのは、『おおかみこども』のプロデューサーの一人が一橋大学のSF研出身の人がいたんですけど、そのSF研の議論の根城だったのが白十字だったんです。
 
Q 『ウォーゲーム』と『サマーウォーズ』の類似性について
 
A さっきも言いましたが、結構自分で短編つくって後からその作品の本当のテーマが分かる事があるんです。実はそれ以外にもTVシリーズの『おジャ魔女どれみ』の一遍が『時をかける少女』の基となっていたりします。そういう関係は世の中に結構あって、一つのモチーフに突き詰めていくことは多い。映画に限らず、同じモチーフが共通している絵も小説も多いです。
 
Q 実写と比べてアニメは自分がやりたいだけできる自由性がある。その自由性と観客との兼ね合いで気をつけている事を教えて下さい。
 
A もちろん、分かりやすく作る事が大前提です。その中で1シーン1分単位で膨らんでいく事はある。アニメーションと実写の違いは扱い方を間違えるとネガティブになるけど、記号は記号でしか無いんです。記号だから膨らませる事が出来るが、そういう所は気にしないと行けない。さっきも言いましたが、アニメ作家は一つの集約された時間にどれだけ意味を放り込めるのかが課題。作品の多義性は公共の為にあります。その多義性をいつも映画を作る人は考えているんです。
 

  一応これで講義は全部です。途中途中自分でメモを書起しておいて一体何が言いたいんだか意味不明な箇所がありますが、講義では理路整然とした話をしていたはずです。
 
 イクスピアリのティーチインでも『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』に出演したときでも思ったけど、細田監督は本当に人柄が良い。特にデリカシーの無い学生が『ハウルの動く城』に関する質問した時は一瞬会場がざわめいたが、困った表情を浮かべながらもすぐに笑顔で返した時はまさに紳士だと思った。『ハウル』で干された後も無事に仕事ができたのも、こういう細田監督の人の良さによる所があるんじゃないかな。
 
 本当に貴重で良い経験だった。1日家でゴロゴロとパワプロで時間を潰さなくてよかったぜ!
 
 

細田守ぴあ (ぴあMOOK)

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