『愛のコリーダ』の2000年公開版をVHSで鑑賞。
阿部定という女が恋人を絞殺した挙句性器を切り取ったという、1936年に起きた「阿部定事件」を大島渚が1976年に映画化した作品。
昭和史に残る猟奇的な事件を扱ったというだけでなく、邦画史上初めて「本番」を描いたことが話題となった。当時はあまりにも過激すぎて公開版はズタズタにカットされてしまったが、僕が観た2000年公開版は限りなくノーカットに近い形で編集されていた。それでもあまりにも生々しいので一部にモザイクがかけられているが、そのモザイクの上でも阿部定演じる松田英子と恋人の吉蔵を演じた藤竜也の性器が結合しているのが分かるという、ぶっ飛んだ作品である。
『愛のコリーダ』は吉蔵と定の出会いから、待合で愛の底無し沼にハマっていき、定が吉蔵を殺害するまでをありのまま描く。もちろん最後に定は吉蔵の男性器を切り取ってしまうわけだが、それどころか二人が出会ってからほぼずっと定は吉蔵の一物を離さない。何故定が切り取るほどに吉蔵の男根に取り憑かれてしまったかは映画を観ているとよく分かる。
それは吉蔵が男の中の男だったからである。吉蔵は定が言うことはなんでも受け入れる。自分が遠出する間にいなくなると困るので定が「あんたの服を持ってくからね」と言っても吉蔵は抵抗しない。定が「あいつとやれ!」と言えば吉蔵は68歳のババアともやる。定が「殺されても文句は言いません、っていえ!」と命令すれば吉蔵は笑ってそれを復唱する。実際、定が吉蔵の首を絞めるシーンに一切の悲壮感を感じさせない。
ちなみに吉蔵を演じた藤竜也はインタビューで次のように語っている。
―特に若いお客さんにどのようなところを見てほしいですか?
そうね・・・・・「惚れる」っていうのはこういうことなんだよ、ってことになるのかな。みんな、その覚悟はあるかい? って。*1
『愛のコリーダ』は男が女に惚れたなら、徹底的に尽くさないとダメだと訴える映画だ。それを象徴しているのが吉蔵の次のセリフだ。
「俺は、定がやりたいってことは、なんでもやらせてあげるよ」
ああ、かっこいい!こんなの僕でも吉蔵に惚れちゃうよ!定は吉蔵にとって何よりも優先すべき女であり、自分の命なんてものは二の次なのだ。そんな男とそれを象徴するブツに定は夢中だったのだ。
そしてここからは映画とは話が逸れるけども、その吉蔵の寛容的なセリフに僕はとある芸人を思い出した。この記事のタイトルにしたのでお気づきかもしれないが、おぎやはぎの矢作兼である。
最近滅多に漫才をやらなくなってしまったが、小木がいつもやりたいことやなりたいことを最初にあげ、それに対し矢作が「俺、小木がやりたいって言ってることはできるだけやらせてあげたいからよ〜」と甘えさせてあげるのが二人の漫才の芸風となっている。
また、一般に長く活動する漫才コンビは仲が悪くなるという通説があるが、おぎやはぎは仲が良すぎる異色コンビとして人気となった。今年で結成20年を迎えるが、先日放送されたゴッドタンの企画「コンビ愛確かめ選手権」でも未だにいつもおぎやはぎは楽屋で話してる*2と劇団ひとりに暴露されたばかりである。
小木との仲の良さだけでなく、矢作は色んな人から好かれている。「とんねるずのみなさんのおかげでした」を見ると石橋貴明がいかに矢作を気に入っているかが毎週ビンビンに伝わってくるし、笑福亭鶴瓶や加藤浩次など矢作を可愛がっている大物は多い。同期からの人気や後輩からの人望も厚く、人力舎内で「好きな芸人」アンケートをとると矢作がダントツの1位になるという。これらのエピソードのソースはほとんどwikipediaからになってしまっているが、このようにwikipediaが矢作に好意的に編纂されていること自体がそもそも矢作兼の人の良さの証明になるんじゃないだろうか。
そういえば矢作を嫌いだと発言している人ってあんまり見たことがないが、これは矢作には誰に対しても「できるだけやらせてあげたい」と寛容の精神が根底にあるからだろう。と、そんなことを『愛のコリーダ』を観て勝手に思ったのであった。