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あの日の記録

雑記

震災からもう4年も経つんですね。思い出せる分だけあの日のことを書いていく。

 

  • 僕は浪人していたのだが、前日に第一志望の大学の合格発表があり、すでに大学生の友人と合否掲示板を見に行ったら僕の番号がなかった。夜家族が慰労会を開いてくれたが、死ぬほど落ち込んだ。
  • 早くも遅くもない時間に起きた。何もやる気が起きず、パジャマでボケーっとしてた。昼頃、とりあえず1年我慢してた映画を観ようと思い、買って溜めておいた『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』をDVDプレーヤーに入れる。


    映画 ワンピース ストロングワールド 予告映像 - YouTube

     
  • 見始めて30分くらいだったか、第一志望だった大学から改めて試験成績が届く。合格最低点からあと5点のA判定だったことを知り、なおのこと落ち込む。しばらくぼーっとした後、映画の鑑賞を再開する。
  • 午後2時46分。誇張でもなんでもなく、丁度シキの能力で地面が揺れているシーンだった。母が「地震」と叫ぶ。あの時期地震が多かった*1ので、たいしたことないだろうと思ったが、直後激しい揺れを感じ、母とテーブルの下に隠れた。
  • 当時マンションの19階と高い階に住んでいたこともあり、今まで体験したことのない激しい揺れで、とにかく長かったことが印象に残っている。テーブルの下に隠れているときは何かが割れる音や倒れて壊れる音がずっとしていて怖かった。身を守っているテーブルさえも倒れそうな勢いで、母と二人で必死に抑えた。生まれて初めて死ぬかもしれない、と思った。
  • 揺れがおさまり、恐る恐るテーブルの下から這い出る。家具という家具が倒れ、テレビも倒れ、スピーカーから不気味に映画の続きだけが流れていた。直感的に「噂の関東大震災か…」と思ったが、テレビを戻してNHKをつけて遠く離れた東北の地震だったと知ったときは愕然とした。なお、浦安市の震度は5強。
  • 当時家にいたのは僕と母のみで、父は仕事の営業で船橋の方へ、弟は二人とも部活かなんかで学校に行っていた。情報がなく、もちろん連絡もつかなかったので安否がとにかく心配だったが結局なんともなかった。二人の弟に至っては臨時で学校の体育館で泊まることになり、後日その様子を修学旅行のように楽しそうに話していたので呆れてしまった。
  • 約30分後、第2の地震。先ほどの恐怖がこびりついていたので急いでテーブルに潜る。体感的にはこちらの地震の方が更に大きく、長く感じた。同時に「母を守らねば」と思い、母を上から覆い被さった。しかしのちにそれを母は周囲に「怖かったんでしょうか、息子が抱きついてきてね〜」と語っていて、ムッとした。
  • またテーブルから這い出た際、誤って何かムニュっとしたものを踏んでしまうが、当時弟が買っていた金魚だった。慌てて倒れた水槽も戻し、金魚も中に入れてあげるが、弱々しく斜めに泳いでいた。数日後、金魚は命を引き取ってしまう。なんかものすごく申し訳に気分になる。
  • 当時住んでいたマンションは東京湾に面していたのだが、ベランダから外を見てみると遠くで千葉の石油コンビナートが激しく燃え盛っているのが目に映った。この世の終わりの光景だと思った。
  • またテレビをつけると、更に信じられない映像を目にした。宮崎を襲う津波である。見たのは確かこの映像だったと思う。


    名取川 津波 2011/3/11 中継 - YouTube

  • 落ち着いてきたので、家の片付けを始める。しかし、正直母と二人ではどうにもならないので、倒れてる小物を戻す程度で全然進まない。また、余震が起きるたびに携帯から不気味な緊急地震速報が鳴り、その度に恐怖でテーブルの下に潜る。
  • 夜19:00くらいだったか、父が帰ってきた。見るとスーツがドロドロだった。言うに、電車も止まってしまい、何時間もかけて歩いて船橋から帰ってきたそうで、浦安の道が液状化によりドロドロだったそうだ。更に父が絶望したのはマンションのエレベーターが止まっており、階段を歩いて19階まで登らなきゃいけなかったことだ。
  • ところで父は365日毎日17:00になると酒を飲まずにはいられない性分で、もうアルコール中毒一歩手前なんじゃないかと思うほどなんだが、家に帰ってくるなり「ビール!」と、僕と母の心配をすることなくビールを飲み始めたので呆れてしまった。
  • というのも、父がいた場所では揺れ自体は大したことがなかったそうで、僕たちが直面した恐怖が全然伝わってないみたいだった。倒れてる家具を見ても「え、なんでこんなことなってんの?」と呑気だったので、母にガミガミ叱られていた
  • どの部屋もかしこもグチャグチャだったので、割と整然としている和室で三人布団を敷いてその夜は過ごした。度々緊急地震速報が鳴ったので怖くて眠れず、でもやることもないからPSPの『KINGDOM HEARTS birth by sleepを夜通しでやっていた。なんだかんだ自分も神経が図太い。
  • 翌日にはエレベーターは復旧していたが、綺麗だった街並みが泥だらけになっていて驚いた。僕が住んでいた場所は東京のベッドタウンとなる埋立地だったので整然とした街並みが魅力の一つでもあったが、もはや見る影もなかった。マンホールが地中から飛び出している写真は有名かと思う。近所のコンビニは地面に埋まってしまい、その写真を撮っていたら店長と思われる人に「やめてくれませんか?」と怒られた。ごめんなさい…。
  • 液状化により水道管が壊れたのか、水が出なくなったので自衛隊が水を配給しに来ていた。水をもらうために並ぶという経験は初めて。若い男性隊員が安心させるためか女の子と遊んでいるのを見て敬意を抱く。震災から一週間くらいはこのような非日常的な生活が続いた。
  • 数日後、テレビでサッカーのチャリティマッチが行われていた。観てると電光掲示板に被災地への応援メッセージが挙げられ、その中に「浦安市、頑張れ!」というメッセージがあって「あ、ここ被災地だったんだ」と気づく。確かに被害を受けたが、人命は失われてないし、東北の被害と比べるのもおこがましいと思っていたので、ちょっと違和感を覚えた。

とまあ、僕の場合の311は受験の失敗と震災が重なったのですごく印象に残る一日だった。あの年に大学生になった自分ももう卒業かとしみじみ思ったので、こうして文字に起こしてみることにした。特に他意はありません。

*1:今にして思えば前震だったのだろうが