主人公はお前(観客)だ!/『Hardcore Henry』★★☆

 米露合作の全編一人称視点(POV)のアクション映画、『Hardcore Henry』を鑑賞。監督・製作・脚本はインディーズバンド Biting Elbowsのフロントマン イリヤ・ネイシュラー。出演はシャルトー・コプリー、ダニラ・コソロフスキー、ハーレイ・ベネット、ティム・ロス。Biting Elbowsが過去に発表し話題となった『Bad Motherfucker』のMVが企画の元となった*1

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  男は目覚めると、研究室にいた。欠損した身体にロボットの手足を取り付けている研究者アステラ(ハーレイ・ベネット)は自分の妻だという。アステラに自分の名前はヘンリーであることと、事故の後昏睡状態に陥っていたことを教えられたヘンリーだったが、人工声帯をインストールしようとしていた矢先に謎の傭兵集団と超能力を操る男エイカン(ダニラ・コソロフスキー)に襲われ、アステラを連れ去られてしまう。絶体絶命の最中はたまた謎の男ジミー(シャルトー・コプリー)に救われたヘンリーは、アステラの救出を誓い傭兵集団との戦闘に臨むのであった。

 

 話題になっている通り、まるでFPSゲームの中に入り込んだかのような臨場感を味わえる本作だが、GoProを使ったPOV映画であることよりも、本作のゲーム性を高めているのは何と言ってもヘンリーから一切のセリフを奪ったことだ。自らの意思を語ることのできないヘンリーは、ただジミーに言われるがままにミッションをこなしていくしかないのである。

 

 更にヘンリーには記憶がない。当たり前であるが、前提として初見時観客は映画の内容をまず知らない。ただし、映画の中のキャラクターたちは多かれ少なかれ観客より多くのことは知っている。彼らは映画の世界の住人だからだ。しかし、本作においてはヘンリーも記憶がないゆえにストーリーの背景やキャラクター同士の関係性は何も知らないのである。ミッションをこなしていく上で、物語の秘密が徐々に明らかになっていく*2。この仕組みもゲーム性をより強くする。

 

 映画とゲームは表現手法が進化するにつれ、たがいに影響を与え続けてきた。『Hardcore Henry』は遂にその垣根を越えようと目論んだ作品だと言えよう。しかし、一点だけゲームと映画を極限値まで近づける上での限界が見えてしまった。つまり、『Hardcore Henry』は一人称のアクションであるがゆえに、引きの画を作れないのである。

 

 これは些細に見えて大きな痛手で、例えば本作のメイキングMV「For the Kill」を見れば、本作がCGに頼らずいかにプラクティカルでハードコアな撮影に臨んでいるかが伺える。しかし、すべてのアクションが寄りの画で写しているために、何が起きているのかが分かりにくいのだ。迫力のあるスタントやアクションを売りにした映画で、これは致命傷だ。

 

 とはいうものの、『Hardcore Henry』はハードコアの名に恥じない暴力に満ちた、没入感の高い作品であったことは間違いない。映画の意義は非日常を体感させてくれることで、『Hardcore Henry』は観客をノンストップなサイボーグへと改造する。鑑賞中はガソリンの代わりにアドレナリンを燃やすこの映画、一見の価値はある。

 

Don't Stop Me Now (Remastered 2011)

Don't Stop Me Now (Remastered 2011)

 

 

Bad Motherfucker

Bad Motherfucker

 

 

*1:

 

*2:といっても本作のストーリーは嫁を救うためにひたすら悪者を殺す、という実に単純極まりないものだ。この辺もある意味でゲーム性が高い一因である。