ディズニー・リベラル路線にまた1作/『ジャングル・ブック』★★☆

 同名ディズニー・クラシックスを実写リメイクした『ジャングル・ブック』を鑑賞。監督は『アイアンマン』『シェフ 三星フードトラックへようこそ』のジョン・ファヴロービル・マーレーベン・キングズレーイドリス・エルバルピタ・ニョンゴスカーレット・ヨハンソンクリストファー・ウォーケンら豪華俳優陣が声優を務め、新人子役のニール・セティがモーグリを好演*1

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 ジャングルに捨てられた赤ん坊モーグリ(ニール・セティ)は黒豹のバギーラ(ベン・キングズレー)によってオオカミの群れに預けられる。バギーラや母オオカミのラクシャ(ルピタ・ニョンゴ)からジャングルの掟や自然を生き抜く術を教えられ、すくすくと成長したモーグリであったが、人間への復讐心に燃えるトラ シーア・カーン(イドリス・エルバ)に目をつけらてしまう。群れを抜け、人間界に戻る決意をしたモーグリの命をシーア・カーンが虎視眈々と狙うのであった。

 

 去年『ジャングル・ブック』の予告編を初めて観たとき、そのあまりのダークさやシリアスさに「これのどこが『ジャングル・ブック』じゃい!」と腹が立った。

 『アリス・イン・ワンダーランド』や『マレフィセント』など、近年流行ってるどれもうまくいってないディズニー・クラシックスの実写化路線に食傷気味だったのもあるが、特にオリジナルの『ジャングル・ブック』の魅力といえば名曲「Bare Necesseties」に代表されるようなジャジーなお気楽さにあった。この朗らかな雰囲気が予告編からは伝わってこないではないか!

 

 ということで、期待値はガンガンに下がった状態で、半ば最初から否定する気満々で映画館に足を運んだのだが、実際に観てみると驚いた。『ジャングル・ブック』はめちゃくちゃオリジナルへの愛とリスペクトが篭った作品で、なおかつ現代らしい捻りも加えられていた娯楽作となっていた*2。監督がジョン・ファヴローであったことを忘れていた、童話の実写化は全てかくあるべし!というまるでお手本のような映画であった。

 

 予告編とは全く違い、明朗な作風がまずいい。オリジナルのようにユーモアに満ちていて心地いい。ネタバレになるかもしれないので伏せるが、嬉しかったのは[オリジナルからミュージックナンバーが採用]されていたことで、[ビル・マーレーの「Bare Necesseties」]だけでなく、[クリストファー・ウォーケンの渋い声で「I wanna be like you」まで聞ける]!

 

 更に尺もオリジナルの78分から約30分増えたことで、キャラクター造形に深みが増していて、展開も自然なものとなっている。特に見事だったのはシーラ・カーンのキャラクター再設計で、オリジナルではなぜそこまでモーグリを付け狙うのかがあまり詳しくは説明されていなかったが、今回の映画版ではある設定を加えたことできちんと因果を作り出している。オリジナルでは印象的に使われつつもあまり重要に扱われなかった「赤い花」の設定も巧みだ。

 

※以下は『ジャングル・ブック』の結末に触れています。

 

 ところで、家に帰ってからオリジナル版『ジャングル・ブック』を見返して気付いた点が一点ある。ジャングル・ブック』はモーグリの保護者であるバギーラとバルーの思想的な対立を描いた作品なのだ。つまり、バギーラは「生き残るためには自らの出自に帰属するべき」というある種伝統的、または保守的な思想を持っていること対して、バルーは「自分らしくジャングルを生き抜くべき」という進歩的な思想を持っている。

 

 オリジナルではバギーラの姿勢に則ったモーグリだが、本作ではバルーが提示した生き方を選択する。本ブログで『アナと雪の女王*3や『ズートピア』*4を取り扱ったときにも書いたが、近年のディズニー作品はリベラル化しており、今回の『ジャングル・ブック』もその潮流に乗った作品であった。*5

*1:いやあ、彼はほとんど現場で一人芝居だったわけだから素晴らしい役者である。

*2:ただし、クライマックスは「それでいいのかよ!」的な雑さはある。

*3:

 

*4: 

*5:ただし、僕自身は旧『ジャングル・ブック』の方が大人な終わり方だなとも思っていて、例えるならば今回の『ジャングル・ブック』は『未知との遭遇』で、オリジナル版は『E.T.』の違いだ。