『エイリアン』シリーズ最新作であり『プロメテウス』続編の『エイリアン:コヴェナント』を鑑賞。監督・製作は『エイリアン』『プロメテウス』のリドリー・スコット。原案は『ブレードランナー2049』も手がけるマイケル・グリーン、脚本は『ヒューゴの不思議な発明』『スカイフォール』のジョン・ローガン。音楽はジェド・クゼル。出演者はマイケル・ファスベンダー、キャサリン・ウォーターストーン、ガイ・ピアース、ダニー・マクブライドら、ジェームズ・フランコがカメオ出演。
『プロメテウス』はストレスを感じさせる映画だった。作品のリアリティラインと比べて登場人物が取る科学的行動は雑で、彼らの行動原理に不可解な部分が多く、何より『エイリアン』シリーズとのリンクを絡めているようでこれみよがしに僅かにズラす演出にイライラした。同じように感じた人は少なからずいたようで、『プロメテウス』は好事家に褒められる一方で2012年映画秘宝誌のトホホ2位に選ばれるなど賛否両論を呼んだ。
ところが今回の『エイリアン:コヴェナント』にはきちんと『エイリアン』の名前が入っている。予告編からも『プロメテウス』終盤に出てきた「あえてズラした」デザインのゼノモーフではなく、ちゃんと我々が知るあの黒光りしたゼノモーフも登場するらしい。巨匠リドリー・スコットも前作をファンに叩かれて反省したのか、僕たちが観たい『エイリアン』に寄せてきているのだろう。嫌が応にも期待が高まって劇場に足を運ぶ。
結局、蓋を開けてみると『エイリアン:コヴェナント』は『エイリアン』の前日譚というよりかは『プロメテウス』の続編に近かった。
『プロメテウス』よろしく、「生命の創造」という高尚なテーマがある。そして『プロメテウス』よろしく、そんな高尚なテーマとは裏腹に登場人物たちの行動があまりにもバカである。*1『プロメテウス』と同じく、「『エイリアン』を思わせるようであえてハズす」クリーチャーの演出にはイライラする。ジェリー・ゴールドスミスの音楽をこれ見よがしに流しとけばいいってもんじゃない。
後半は『エイリアン』の世界観に大分寄り、似た展開にもなってくる。ファンとしては嬉しい場面もあるが、だったら一作目を見直したほうがよっぽど面白い。(しかもやっぱり敢えてハズしてくる)そして当然『コヴェナント』でシリーズが終わらないので、一体いつになったら一作目に繋がるのかとモヤモヤさせる。
そもそも論なのだが、なぜ今更ゼノモーフに関する謎を解き明かさなくてはならないのだろうか。そんなに謎を明らかにすることは重要なのだろうか。『エイリアン』第一作目が怖かったのは宇宙という閉鎖空間で未知の生命体に襲われる根源的な恐怖のためであった。そして続く『エイリアン』シリーズはその出来に波があろうと「未知の生命体への恐怖」というものをあくまで軸にしていたのに対し、この『プロメテウス』シリーズには「エイリアンの謎」を解き明かすことに主軸が置かれている。リドリー・スコットのこの新たな試みは「謎」が持つ恐怖や魅力、ロマンを削ぐ無粋な行為であり、『エイリアン』のファンとして実に残念に思う。*2