ロッテントマトってそんなに大事かね?

 今日は『ジャスティス・リーグ』のロッテントマトが腐ってたとかどうとかでTLが本当にうるさかった。

 とはいえ僕もちょっと前までは新作映画が公開されるたびにロッテントマトのスコアを観ていたので気持ちはわからなくもない。ただ、ロッテントマトってそんなに偉大なのだろうか?

 

 勘違いする人は多いが、ロッテントマトのスコアは映画につけられた点数ではなく、ロッテントマトに集められた批評のうち、どれだけの割合の人が褒めた評価を下しているか集計した結果でしかない。その数字にはそれ以上それ以下のなんの意味も持たないし、重要なのは批評家が書いた評の中身である。ただ、数字というのは大変わかりやすい記号なので、映画の良し悪しを語る時に安易にロッテントマトのスコアが出がちなのである。

 

 ロッテントマトのスコアは興行にも影響を及ぼすほどになったが、最近のロッテントマトのタチが悪いのは自分の数字の影響力に半ば自覚的なところだ。そして映画ファンも見事にロッテントマトが褒めた映画は褒めるし、貶す映画は一様に貶す。まるでロッテントマトのスコアを確かめに映画を見ているかのようだ。

 

 ただ冷静になって考えてみてほしい。100人の批評家から集められたとある映画のスコアが10%だったとしよう。90人の批評家にとっては悪い映画でも、残りの10人にとってはいい映画だということだ。自分がその10%に入らないという保証はどこにある?

 

 映画鑑賞とは個人の経験や体験、主観と結びつかずにはいられないものだ。批評家に嫌われたってたまたま自分の趣向にヒットした作品もあれば、逆に批評家にはウケたが自分の信条に合わずに嫌いになった作品もたくさんある。僕も一丁前に星の数で映画に評価を下しているが、あくまで自分にとっての記録のようなものでそれが誰かの参考になるとはこれっぽっちも思ってはいない。

 

 結局、映画が面白いかどうかを決めるのは自分自身だ。ロッテントマトの数字なんかチェックしている暇があったら一本でも観て自分にとっての傑作を探したほうがよっぽど有意義だと思う。

 

 ちなみに今日『ジャスティス・リーグ』を観に行ったが、僕は面白かったよ。僕はね。

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