ウェン・アイム・27

 7月25日は僕の誕生日でして、27になってしまった。

 

 「なってしまった」と書いたように、子供の時はあれほど楽しみだったはずなのに、25歳を過ぎたあたりから誕生日は最も禁忌な日になりつつある。子供の時におっさんだと思ってた30歳に1秒ずつ刻々と近づいているのは恐ろしい。

 

 特に自分の場合は人より長くモラトリアムを過ごしたため、まだ自分には歳相応の経験が全然足りない、という飢餓感やコンプレックスが強い。こっちはまだ社会人になって一年なのに、同期には結婚してるやつとか子供いるやつとか家買ってるやつとかもいるし。というか、家買うって発想がもう意味わかんないわ、ショッピングカートに入んないじゃん!

 

 そしてちょっとでもサブカルをかじってしまうと27歳というのは、所謂「27クラブ」*1を意識してしまい余計に焦りを覚える。世の中の偉人や天才はこの歳までには死んでなお惜しまれるような成功を収めているのか!

 

 例えば僕が今死ぬとする。するとあの世のどっかの華々しい繁華街に大きく「27クラブ」という看板を掲げられた店があり、ジミヘンだとかカート・コバーンだとかが楽しそうに踊ってるんだ。で、そこに27歳で死ねば入れるんだと勘違いした僕が「おのぉ、えっと、すんません、ドュフフフ」って照れ笑いを浮かべながら場違いに入っていくと、途端に雰囲気が白けて「えっと、あの、誰でも入れるわけじゃないんですけど…」って煙たがられてセキュリティを呼ばれて追い出され、遠くの方でエイミー・ワインハウスが爆笑してる。

 

 う、うわぁぁぁ…やだなぁ、それ。別に自殺願望なんてこれっぽっちもないし、可能な限り長生きはしたい性格だけど、とりあえず今だけは絶対に死ねないな。あの世に逝ってからもそんなカースト底辺みたいな気持ちは味わいたくないね。

 

 とはいっても、この文章書いてて今更気付いたが、明日死ぬ可能性だって0ではない訳だ。1歳でも歳をとるということは、それが遥か遠い出来事であったとしても、死に刻々と近づいていることと同じなんだ。後悔しないように生きたいが、今歩いている道が正直自分がやりたいことに近付いている道なのかは分からん。でもやっぱりそういう時は「でも、やるんだよ!」という諦念の覚悟が自分にはよく似合う。

 

 ちなみに記事のタイトルは大学時代の映画サークルの仲のいい先輩が、僕が一年の時に撮った自主映画のタイトルである。 

The 27 Club

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