『サウスパーク』S22E2「A Boy and A Priest」感想

 今週の『サウスパーク』のタイトルを訳すならば「少年と司祭」だが、もちろんこれは世界中で問題となっているカトリック司祭の小児性愛児童虐待がテーマになっている。

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 いつもの日曜日。マーシュ一家は教会に行く準備をしており、ランディは家族を急かす。片腕を首から吊り下げているスタン(ここで先週のラストのスクールシューティングから生き延びていたことが発覚する)は「日曜に教会に行きたくないんだけど、家でゲームやってちゃダメなの?」と渋るが、ランディは「何を言っているんだ!どんなゲームや映画よりも教会に行ってコミュニティと繋がることの方が大事なんだ!」ともっともなことを言う。シャロンも「何故だかよく分からないけど、教会に行くと気分が良くなるの」と同調する。

 

 教会にはサウスパーク中の住民が集まっており、マクシ司祭の話を聞く。「主は試練を与えてくださいました、我々は誘惑に耐えられないために」と説法をすると「ああ、まるで裸の男の子たちが集まった部屋にいる司祭のようにね」とランディが囃し、場内爆笑。それでもマクシ司祭がメゲずに「ヨハネ福音書の第3章16節によると、神は世を愛されたので、一人子をお与えになったのです」と説くと、「そしてその子をカトリックの司祭が犯したんでしょ?」とヤジが飛んで場内爆笑。サウスパークの大人たちは信仰心のためでなく、小児性愛ジョークでカトリックの司祭を馬鹿にするために毎週日曜に教会に通うことを生きがいとしていたのであった。

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 あー今週も楽しかったと大人たちが教会を後にした後、孤独で傷ついていた司祭を見かねたバターズは自分の経験を踏まえて司祭を慰める。「僕も昔は虐められてたけど、周囲の目を気にするなってあなたに言われたから僕は変われたし、今では学校の人気者だよ!周りの評判なんか気にせず、僕と一緒に遊ぼうよ!」その実バターズは未だに皆から煙たがられていることに気が付いていないだけなのだが、司祭に立ち直ってほしいと切に願うバターズはどこへ行くときも司祭を誘い出す。司祭も優しいバターズに癒され、2人はロマンチックに絆を深めていく。

 

 一方、司祭が休職中のため教会が閉まっており、サウスパークの住民は日曜の楽しみが無くなった!と困惑中。困った住民達がデンバー大司教に相談すると「(ま、また司祭が行方をくらましたのか)ええ、心配ありません、そのうちマクシ司祭は戻ってきますよ!」とお茶を濁しつつ、カトリック精液清掃部隊サウスパークに派遣するのであった。

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 実は『サウスパーク』がカトリック児童虐待問題を扱ったのは今回が初めてではなく、2002年に放映されたシーズン6第8話「Red Hot Catholic Love(日本放映時タイトル:カトリックとケツのおアツイ関係)」でもマクシ司祭は腐敗したカトリックの教えを正しにバチカンへと飛んでいた。『サウスパーク』が同じネタを扱うことは珍しいが、逆に言えば16年経ってもいまだ同じ問題で世界を震撼させているカトリック教会の腐敗ぶりと隠蔽体質は恐ろしい。16年前はバチカンで戦ったマクシ司祭も今回ばかりは「カトリックに癌が潜んでいるのではなく、カトリックそのものが癌だ。それを見ぬふりをしてきた私も罪深い」と匙を投げているだけに、いかにこの問題が根深いが窺い知れる。

 

 ちなみに今回のエピソードを受けて、早速アメリカのカトリック同盟会長ビル・ドナヒューはトレイ・パーカーとマット・ストーンを「臆病者」と呼んで非難した。彼の言い分によると、「カトリックの性的汚職者の8割は同性愛者であるので、被害者を子供ではなく大人として描くべき」と怒っているんだけど、それちょっとズレてるよ!