メタ化する社会

 僕はアメリカだと今年公開されたデヴィッド・ロバート・ミッチェルの『アンダー・ザ・シルバーレイク』が大好きだ。『アンダー・ザ・シルバーレイク』はボンクラな主人公サムがLAに隠された秘密を知っていくミステリだが、僕は陰謀論にハマる人の欲望をよく表したサタイアだと思っている。何もすることもやりたいこともなくダラダラとしているサムは、行方不明となった謎の美女を追っていくうちにハリウッドの成功者達やセレブ内で蔓延る謀略そのものにいつしかのめり込んでしまう。

 

 人は世間や世界のことを理解していたい欲を持っているし、あるいは世界を他人よりも理解していると錯覚を起こす。しかし世界や社会は考え得るよりもずっと複雑なシステムでできており、そのシステム全てを理解するのは凡そ不可能であるが、陰謀論によって人は世界を単純化して理解しようとする。一部例を挙げれば、日本共産党は中国が支配している、マスコミは反日である、NHKは政府のプロパガンダである、バラエティは全てヤラセである、ヒットチャートは大手エンタメ企業が操っている、売れている小説にはゴーストライターがいる、芸能界には枕営業がある。実際にはA=Bで数式化できるほど物事は単純ではないが、間にある複雑なプロセスをすっ飛ばすことで、自分が気に入らない社会や事象を納得してみようとする。

 

 SNS社会においては特にそれが顕著で、言い換えると人は物事を「メタ化」して俯瞰するのが偉いと思っている。昨今日韓関係は冷え切っていて左右どちらでも数多の人がそれぞれ意見を述べているのを見かけるが、韓国がGSOMIAを破棄した際GSOMIAがツイッターのトレンドに載り、例に漏れず色んなアカウントがGSOMIAについて論じていたのに驚いた。だって、僕はGSOMIAなんてそれまで人生において一回も聞いたことがなかったのに、まるで一般常識のように語られていたからだ。意地悪い言い方をすれば、慌ててググって論争に参加した人も少なくないんじゃないか。メタ化する社会においては誰もが全ての事象について理解していることが求められるが、その知識がWikipediaに記載されている事を超えることはない。

 

 なんでこんなことを急に書き始めたかというと、山梨のキャンプ場で女児が行方不明になったニュースに対し、親を責める書き込みがあまりに多くて腹が立ったからだ。母親のSNSアカウントを特定し、何気ない投稿を探し出してあたかも母親が娘に手をかけたかのような批判をする人を少なくない数を見かけた。しかし彼らは薄っぺらい正義感を通勤途中の電車の中や休憩中に披露して日々のストレスを発散し、メタな視点な立場で事件を俯瞰できている優越感に浸っているだけだ。もちろん、事件の当該者たちの気持ちなんてこれっぽちも考えてなんかいない。

 

 SNSにより発展してしまったメタ化する社会に対抗する手段は、ソクラテス的な「無知の知」という姿勢だ。自分は物知りである、というエゴなんかよりも、何も知らないからこそ学ぶ姿勢こそ崇高で、事情を知らないからこそ相手を思いやる気持ちの方がよほど敬意に値する。物知りマウント取りゲームなんてファックオフだ。