R.I.P 志村けん

 僕ははっきり覚えているけど、アメリカが新型コロナウイルスへの認識をガラっと変えたのは現地時間の3/12だった。この日、トム・ハンクスとリタ・ウィルソン夫妻、そして前に記事にも書いたがNBA選手ルディ・ゴベアの感染が発覚したのだ。 

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 それまでのアメリカはこの感染症を比較的呑気に捉えていて、そのつい1週間前のお笑い番組サタデー・ナイト・ライブ』では、新型コロナウイルスに怯え、人との間に距離を取る社会のことをパロディにしたコントを放映したばかりだった。今でこそ感染の震源地であるNY市でだって、バカな若者が防護服を着て「コロナウイルス 」を模した謎の液体を地下鉄でぶちまけるイタズラをしていた*1世間で問題になっていることは知っていたが、あくまで対岸の火事だった。

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 そんなアメリカがパニックになったのは-もちろん、丁度同日トランプ大統領新型コロナウイルスについての生放送をしたことも多いに関係あるだろうが-3/12日に誰もが知るセレブとスター選手が同時にかかったことで、世間を賑わせているこの新型肺炎の存在を一気に身近に感じたのだ。NBAが中断され、トランプは国家非常事態を宣言し、映画も次々に公開中止が決定され、感染者や死者数が爆発的に増加し、あとは皆さんの知るところだろう。

 

 アメリカよりも先に新型コロナウイルスが上陸していた日本では、少し奇妙な状況だったと言える。日本政府は重症者への検査やクラスター潰しに集中して感染のピークを遅らせる作戦をとっていた。他国と比べて検査数の少なさが内外から批判されていたが、実際のところ死者は他国よりも圧倒的に少ないので、ある程度この戦略は功を奏していたといえる。そのうち欧米と比べての日本での被害の少なさは「日本の謎」として海外のメディアから取り上げられるようになった。

 

 最初は怯えて自粛していた人々も、徐々に日常を取り戻して行った。これは自戒の意も込めて書くが、僕自身も極力外出しないようにしつつも、映画の配給仕事や友達のドライブインシアターの手伝いをしていた。『ザ・ルーム』が上映されている渋谷の駅に着いて、ハチ公前を占拠する大量の若者を目の当たりにし、「みんな呑気だな」と呆れていた。浦安から電車ではるばる1時間かけて渋谷にやってきた自分のことは棚に上げて。

 

 いわば、日本では「神話」が作り出されてしまっていたのだろう。「日本で新型コロナウイルスが抑えられているのは他国と比べて清潔だからだ」「握手やハグをしない文化だからだ」「医療崩壊が起きないように検査数がコントロールされているからだ」などなど。それは我々が体験してきた「原発は安全だ」と同種の「神話」だ。

 

 志村けんの入院の報があったのはちょうど1週間前の3/24だ。その頃日本では自粛疲れなんて言葉が囁かれはじめ、その直前の三連休は緊張の糸が切れたように人々が旅行や遊びに出かけ、メディアで専門家が警鐘を鳴らしていた。翌日、東京都で40人以上の感染者が発見され、これまでの最多記録を更新したと思っていたら、数日と経たないうちに60人以上の感染者が発見された。小池都知事も流石に緊急会見を開き、1都4県で不要不急の自粛要請が発令された。

 

 志村けんは国内で初めて有名人の感染者であったので、連日大きく報道されていたし、国民も驚いていた。だが、それでもどこか「自分は大丈夫じゃないか」と思っていただろう。じゃなきゃ、自粛要請中に呑気に雪の中花見に出かける人もいなかっただろうし、僕に今週顔を合わせての打ち合わせの非常識な連絡をしてくる人だっていなかったはずだ。

 

 そして、週が明け、志村けんはそのまま帰らぬ人となった。国民的コメディアンの訃報には流石にショックが大きく、テレビでもSNSでも人々の意識が急速に変わっていくのが感じた。大学生の弟が言うには、友人がインスタのストーリーで「流石にこれはヤバすぎる・・・」と投稿していたという。

 

 我々はこのパンデミックがどれだけ恐ろしいかを自覚するために、志村けん一人を失った。そしてそれはあまりにも遅すぎて、あまりにも大きい代償だった。

 

 天国で注さんや長さんとゆっくりお休みなさい。R.I.P。

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