劇場公開予定だったものの、コロナ禍により配信スルーとなったジャド・アパトー監督の最新作『The King of Staten Island』を鑑賞。アパトーは、本作の主演となったピート・デヴィッドソンと共同で脚本も手がけた。デヴィッドソンのほか、マリサ・トメイ、ビル・バー、ベル・パウリー、モード・アパトーらが共演。
ジャド・アパトーは常に私小説的な映画を撮り続けてきた。『無ケーカクの命中男/ノックトアップ』はレスリー・マンを妊娠させてしまった実体験を、『素敵な人生の終わり方』はルームメイトだったアダム・サンドラーとの思い出を、『40歳からの家族ケーカク』はアパトー自身が直面していた中年夫婦に訪れた危機をベースにそれぞれ映画化している。
前作『エイミー、エイミー、エイミー!こじらせシングルライフの抜け出し方』で初めて他人が書いた脚本を映画化したが、この脚本を書いたのは主演のエイミー・シューマーであり、彼女自身の恋愛体験がベースとなっている。自分が書いたものであろうと、他者が書いたものであろうと、ジャド・アパトーの映画は非常にパーソナルなものになっている。
最新作『The King of Staten Island』も同様に、非常にパーソナルな映画だ。この映画をアパトーに持ちかけ、脚本を共同で執筆したのは主演のピート・デヴィッドソン。『The King of Staten Island』は、24歳の高校中退ニートのスコットの物語だ。彼はNY市に属しているスタテン島*1の実家で母と暮らしている。スコットは幼少期に消防士の父を火事現場で無くてして以来、自分の殻に閉じこもっている。母はそんなスコットを長いこと甘やかしてきたが、母が新しい消防士の男と出会ったことで、遂にスコットの安寧が脅かされるのであった--というのが粗筋だ。
ピート・デヴィッドソンの父親も消防士であり、911で出動して亡くなっている。この映画は明らかにデヴィッドソンの父親に捧げられている。劇中、スコットは父の死をある種盾にしており、何事にも常にやる気が出ないのも、職が見つからないのも、ドラッグに興じているのも、全て父の死のせいにしてボンクラ仲間とモラトリアムをダラダラ過ごしている。そのダメ男っぷりについゲラゲラ笑ってしまうが、冒頭はスコットが自殺未遂を図るシーンで始まる。ピートにとっての「父の死」という呪縛の硬さが伺えてギョッとする。
ところで、ジャド・アパトーはまた、知名度の低かったコメディアンを起用して売れっ子に育て上げることが得意だ。セス・ローゲン然り、ジョナ・ヒル然り、ポール・ラッド然り、コメディの枠組みを超えてハリウッドでも売れっ子の彼らのスタート地点はジャド・アパトーの作品からで、アパトー経由で売れた役者を「アパトーギャング」と呼ぶことが多い。
ピート・デヴィッドソンはSNLでレギュラーを勤めているが、映画の主演はこの前にはHuluオリジナルで1本のみ。彼もまたアパトーのプロデュース力/演出力で素晴らしい演技力とコメディ力を本作で見せており、今後も映画で顔なじみの役者となって行くだろう。『The King of Staten Island』は東海岸らしい曇天が特徴的だが、ラストカットの晴れ晴れとした空が、父の死から解放されてデヴィッドソンの輝かしい未来を暗示しているようだ。
*1:僕が2年間のNY生活の中で、ほとんどスタテン島に行くことはなかった。警察官と消防士が多く暮らす街で、大都市NYのイメージとは裏腹に住宅街でご近所さんはみんな顔見知り。そんなスタテン島の閉塞感をこの映画はよく表している。