ジーナ・カラーノを巡るあれこれの結末

 僕が先月書いたジーナ・カラーノの記事がやたらとアクセスされているなぁ、と思ったら、どうも結局ディズニー/ルーカス・フィルムは彼女をクビにしてしまった様です。おそらく彼女が今後『マンダロリアン』は疎かディズニー作品に出ることはないでしょうし、彼女が所属していたタレント・エージェンシーからも解雇されてしまったんで、仕事も減ってしまうでしょう。

 

 僕が上記記事で書いた様に、ジーナ・カラーノはこれまで散々問題発言をして炎上していましたが、今回はインスタでの投稿が決定打となりました。すでに投稿は消去されてしまっており、僕は現物を見ることはできませんでしたが、記事を読むに現代に共和党員として生きることとホロコースト中のユダヤ人と比較した意見を書いてしまった様です。

 

 これに関して僕がザッとTwitterを見返した限り、ある種のジーナ擁護論を散見しまして、大抵がキャンセル・カルチャー批判と結びつけたものでした。僕も今回の件が近年隆盛しているウォーク・カルチャーとは無関係とは言い難いと思っていますが、だからといってちょっと一連のジーナ・カラーノの発言は、言論の自由を超えた堪え難いものだと思います。そもそも彼女の今までの発言は、共和党的や保守思想というよりかは陰謀論めいていて、とても賛同できるものではありませんでしたし、今回のホロコースト発言なんて論理の飛躍も甚だしく幼稚ですし、日頃弱者への共感を欠いた言動をしている癖に、自分に都合がいい時にだけウイグルの話を持ち出す日本のネトウヨとソックリです。

 

 ただし一方で、BBCの記事にも書いてありましたが、昨年BLM運動が盛り上がっていた時に彼女がBLMや人種差別について言動を避けていた為に、「レイシスト」のレッテルを貼られてSNS上で批判されていた経緯もあります。社会的影響力のある彼女がBLMについて触れなかった憤りというのもよく理解はできますが、こうした「不寛容」の積み重ねによって益々彼女の偏向的な右翼思想が加速していったことも容易に想像ができます。

 

 あれこれ考えさせられますが、僕としては以前も書いた通り、特に彼女が『マンダロリアン』で演じたキャラ・デューンフェミニズムを体現したかの様なカリスマ性溢れるキャラクターだっただけに、今回の一連の騒動がとにかく残念でなりません。そして高知東生さんのように、ジーナ・カラーノもいつか目を覚ます日が来ることを祈っております。

 

  あ、話は変わるんですが、昨今の分断社会を理解する上で、最近非常に参考になったドキュメンタリーがありまして、Netflix『監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影』を観ることをオススメいたします。

 ネトウヨが悪い、パヨクが悪い、なんてそんな単純な話ではなく、IT社会に蔓延するアルゴリズムがいかに人々の対話を難しくさせてしまい、陰謀論をいとも簡単に普及させうるかが説明されて軽く絶望的な気持ちになりました。また、そのアルゴリズムに見事ハマっている某映画評論家の先生がこの作品をTVで推していたと聞いて、なんとも皮肉なものだなぁ、とちょっと笑ってしまいました。