僕と『エヴァンゲリオン』の終わり。/『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』★★★

し 1995年に始まったシリーズ完結編『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を鑑賞。総監督・企画・脚本・原案・製作総指揮は庵野秀明、監督は鶴巻和哉中山勝一前田真宏、音楽は鷺巣詩郎。これまで通り、声の出演は緒方恵美林原めぐみ宮村優子坂本真綾三石琴乃山口由里子石田彰立木文彦ら。

ネタバレしています。

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 誰かの感想を読んで影響を受ける前にもう感想をブログに書いてしまおう!今この記事を書いているのは『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の帰りの電車の中である。誰かの感想を読む前に感想を書かなければならない。それくらい『エヴァンゲリオン』という作品が形成するカルチャーは面倒くさいものである。

 

 今「面倒くさい」と形容したように、僕は『エヴァ』のあまり良いファンではなかったことは先にここに断っておきたい。僕が『エヴァ』と出会ったのは、シンジくんと同じような年頃だった中学生の頃だ。一切の娯楽品が禁じられている全寮制の学校で、違法ドラッグのように密かに流通していた貞本義行版『新世紀エヴァンゲリオン』を読んだのが始まりだった。漫画版『エヴァンゲリオン』はアニメ版と比べて陰鬱さは多少控えめなため、また連載・刊行スピードが恐ろしく遅くてアニメ版のダークな展開までは当時まだ進んでいなかったので、『エヴァ』の「中二病」的な難解要素にはさほどハマらず、純粋な「ロボットSFもの*1」として当時は楽しんでいた。

 

 新劇場版開始による新しい『エヴァ』ブームが起きたのは高校1年生(!?)の時であった。映画館で観に行ったが、それまでにテレビ版も少し観ておこうという気持ちで、『序』がベースとなっている6話までを観た。受験の為『破』を劇場で観ることは叶わなかったけれど、大学に入ってから残りのTVシリーズと一緒に一気に観た。今考えると良くなかったのは、当時の僕は「大二病」としてイキっており、今よりもずっと単純明快な娯楽作品を好んでいた為、14歳の青臭い心理が爆発してるTV版『エヴァ』に対しては大分斜に構えて接していた。当時意味が全く分からなかったし、分かろうともしなかった旧劇に至ってはTwitterで酷評していたはずだ。とはいえ、『序』『破』に関してはTV版や旧劇をいい意味で裏切るカラッとした熱血アニメとなっていたので、それなりに楽しんだ。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

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  • 発売日: 2007/09/01
  • メディア: Prime Video
 
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

  • 発売日: 2009/06/27
  • メディア: Prime Video
 

 

 ところが、いよいよ『エヴァ』に関わる事象が心底面倒臭いと思ったのが『Q』の公開時だった。純粋に熱血アニメとしての『破』の続きが見たかった僕は、色々説明不足な上にワガママな選択をした癖に落ち込むシンジくんに一切共感できず、作品としてのテンポの遅さも相まって『Q』は難解であるというよりかは、単純に脚本や一つの映画としての作りが上手くいってないように感じてしまったのだ。しかし、ネット上ではファンが勝手に色々な要素を拾い上げてあれやこれやと好き勝手解釈しているのが、正直に言ってバカバカしく感じてしまっていたほどには捻くれていた。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

  • 発売日: 2012/11/17
  • メディア: Prime Video
 

 

 そんな有様だったので、庵野秀明が『シン・ゴジラ』を手掛けると聞いた時は不安の方が圧倒的に大きかったが、また僕が庵野監督への認識を大きく改めたのも『シン・ゴジラ』であった。相変わらず小難しいジャーゴンが山ほど散りばめられてはいたが、エンタメ作品としてはストレートな面白さだった。というか、訳が分からない情報ばかりが羅列されるのに、ちゃんと観客が純粋にワクワクして楽しめる作りになっていたのは並大抵のことではない。何より、エヴァ』と違って主人公たちが「大人」なのでウジウジせずプロフェッショナルに徹していたのが良かったし、そういえば『エヴァ』を観ていて僕が一番好きだったのは力強いドラマ音でネルフ使徒を迎え撃つ大人たちのカッコ良さだったことを思い出した。

シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

  • 発売日: 2017/03/22
  • メディア: Prime Video
 

 

 そして、『Q』から6年経って僕も大人になった頃合いに、Netflixで配信が始まった『エヴァ』を見返すと、一周回ってむしろ難解な世界観を面白く観れるようになっていた。アメコミ系ばかりのハリウッド映画に少し食傷気味だった頃だったこともあり、改めて見返した旧劇もむしろその訳の分からなさに圧倒されたし、こうした抽象的な世界観を映像表現できる庵野秀明監督には今までの不敬を謝罪したくなった。日本に帰ってきて『序』『破』『Q』も見返して、正直『Q』はまだ好きになれないけれど、それでもこれまでで一番完結編に対してフラットに楽しめる心境になれるほどには成長はした(つもりだ)。 

新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に

新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に

  • 発売日: 2019/08/01
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 で、コロナ禍を挟んで迎えた『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』である。油断していたが、これがまたまあ、とんでもなく面倒くさい作品なのだ。すっかり『エヴァ』と和解した気持ちでいた僕だったけれど、今一度『エヴァ』がどういういシリーズであったかを思い知らされるハメになった。

 

 155分という、シリーズ屈指の長さを誇る本作は大きく2部構成*2に分けられると思うが、まず何と言っても驚かされるのは牧歌的な前半部分だ。これまでの死闘が嘘であるかのように、ニアサードインパクトを生き延びた人類が毎日を懸命に生きる様が表される。台風の目のような平穏さは儚く美しいものの、一方で我らがシンジくんはまだずっとウジウジしているのである。お前、良い加減にしろよ!とアスカの代わりにひっぱ叩きたくなったが、その分『Q』から8年経ってやっと立ち直ってくれる頃にはメタ的な感慨も味わえたものだ。

 

 そして迎え撃つ怒涛の後半戦だが、シリーズ屈指の情報量で何が何だか分からない。かなりスローペースだった前半部分に慣れ切っていた僕にとっては、あまりにも展開が唐突でついていけなさすぎる。一番観たかった『破』と『Q』の間の14年間を観せてくれなかったように、本来であるならば『:||』もクライマックスに向かうまでの脚本上のロジスティックを丁寧に積み立てていくのが一般の作劇セオリーだろうが、その定石もぶっ壊していくのも実に庵野秀明らしい。

 

 あまりにも理解が及ばないので、これまたTV版最終2話や旧劇のような、ファンがあれこれ謎について議論して満足する、独りよがりな完結編になってしまうのではないか、という危惧さえも覚えた。しかし、懲りずにまた斜に構え出していた僕は、ラストに思わぬ大きな衝撃と感動を覚えることになる。『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』で庵野秀明エヴァンゲリオン』という文化そのものを終わらせにいったのだ。

 

 ノミ並みに小さい洞察力で一丁前に考えるならば、14歳という年齢で成長が止まってしまったエヴァパイロットたちは、『エヴァ』というアニメについていつまで経ってもあーだこーだ面倒くさいことをあれこれ考察する我々ファンの精神状態を表しているのではないだろうか。『エヴァ』に限らず、インターネットの発展も手伝って『スター・ウォーズ』やMCUなどのポップカルチャー全盛期を誇っている今、世界中で「大人」になれない呪いにかかった面倒臭いファンダムが形成されている。

 

 しかし、『シン・エヴァ』のラストではそんなシンジくんたちが遂に大人になり、外の世界へと飛び出す。「アニメを見るのも良いが、たまにはインターネットくらい見るのやめて外へ出ろ!」数々のファンダムの元となったスピルバーグが監督した『レディ・プレイヤー1』にも通じるメッセージが、エヴァンゲリオン』という巨大で面倒くさ過ぎる文化圏を作り出した庵野秀明から聞こえてくるような気がして、いよいよ『エヴァ』も終わったのだなぁ、という深い感慨を長いエンドロールで実感していた僕もまた、すっかり面倒くさい『エヴァ』のファンになってしまっていたのであった。

 

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*1:もちろん、『エヴァ』がロボではないのはわかっていますが、ジャンルを定義する上での便宜上の呼称です。

*2:正確にはアヴァンタイトル、Aパート、Bパート、Cパート、Dパートと分けられているけれど、と注意書きをわざわざしておかないといけないのも、まあ面倒臭い作品である