震災後に映画を観るややこしさ/『インポッシブル』★★☆

 ※鑑賞中ずっとモヤモヤしていて、うまく言語化できないもどかしさがあり、今回はそのモヤモヤについてありのままに書こうと思います。本当に思ったことだけをざっと書いてるだけなので、若干何言ってるか分からないかもしれません。

 

 ローランド・エメリッヒが監督した『2012』という映画があった。マヤ文明のカレンダーが2012年で終わっていることから唱えられた「2012年人類滅亡説」をVFX満載で描いたディザスタームービーだ。
 
 2009年に公開され世界中でスマッシュヒットを記録したが、生憎僕は受験勉強中で当時はセンター試験に備えていたため、実際に鑑賞したのは去年(2012年)の年末だった。とてもタイムリーな時期にDVDで観た。
 
 スペクタルな題材とは裏腹に、いつものエメリッヒ印の底抜けバカ映画だった。リムジンで地震から逃げたり、崩れる大地の裂け目を飛行機で飛んだり、奇想天外のビジュアルはアホみたいに楽しくて、ディズニーランドやユニバーサル・スタジオで実際にアトラクションにしたら良いんじゃないかと思ったほど。

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 しかし、『2012』を単に楽しいバカ映画で片付ける事はできず、僕はこの映画にある種の嫌悪感を抱いてしまった。それはもちろん、前の年に東日本大震災を目の当たりにしてしまったことで、『2012』の幼稚過ぎる天災描写が絵空事にしか見えず呆れ果ててしまったのだ。(先の地震の描写に加え、エベレストを覆うほどの津波ってどうよ?)
 
 もちろん、何でも311に結びつけてしまうのは暴論ではあるし、少なくとも公開当時『2012』を観て同様の嫌悪感を抱く人はほとんどいなかったはずだ。しかしどうしてもこれからこういう災害を扱う映画や作品に触れる上で、自分の体験やあの日テレビで観た生々しい津波の映像を思い出さざるを得なくなってしまったのだ。(映画本編は未見だが、韓国映画の『TSUNAMI-ツナミ-』なんかはパッケージだけで辟易してしまう)

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 本題に入ると、先日一ツ橋ホールで開かれたJ.A.パヨナ監督の『インポッシブル』の試写会に行ってきた。言語は英語ではあるがスペイン映画であり、2004年に起きたスマトラ島沖地震で発生した津波災害を題材とし、タイのカオラックで被災したスペイン人の家族の実話を基にしている。
 
 字面にするだけでもいろんな地名が出てきて何とも不思議な映画であり、夜空に提灯を飛ばす場面や、リゾート地の透明感など幻想的で美しいシーンが冒頭を飾る。主人公の五人家族も絵に描いた様なイギリスのブルジョワ階層で見ているだけで多幸感に包まれる。
 
 しかし津波がリゾート地を襲った後、映画は神秘的な雰囲気から死屍累々の光景に一変する。家族は離れ離れになり、長男は重症を負った母と共に病院へ、父と二人の幼い弟は逸れてしまった長男と母を探し、それぞれ瓦礫の山となったカイラックを放蕩する。肉が抉れるほどの怪我を負う者や、小波に揺れる遺体、病院では患者が正体不明の異物を吐く。目を覆いたくなるほどの凄惨とした場面のオンパレードで、観客は家族の目を通して被災地を擬似体験する。僕はその感覚に『プライベート・ライアン』を想起させられた。 

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 奇跡的に全員生きたまま再会できた家族の実話が原作なので、一応「諦めない堅固な意思」がテーマであり感動的なオチは迎える。『インポッシブル』という題名も、劇中幼い兄弟が出会う老婆が言う「夜空の星が死んでいるかどうかは絶対に分からない」という台詞から取られている。(注1)
 
 だが、ダメな邦画がやりがちなように、ただ単に感動演出を大袈裟にして涙を強要するのでなく、生き残った者に苦い爪痕を残すエンディングを迎えるのが好印象だった。作り手の悲劇を風化させようとしない意図と被災者への敬意を感じ、広く評価されるべき映画だと思う。
 
 しかし、しかしである。問題はやはり大津波のシーン。この映画の存在を知ったのは去年のトロント国際映画祭の時期にネット上に出ていた予告編だ。実際に見てもらった方が早いと思うので、その時に観た予告編を貼る。
 
 どうですか、やっぱり津波の描写に戸惑いませんか?311からテレビやネットでショッキングな津波映像を散々見て育てられた見識から考えると、あんな近い場所で津波に飲まれて助かる訳が無い。更に予告編の"感動系ドラマ"の雰囲気に『カルテット!』(注2)や「24時間テレビ」的な偽善さを感じてしまい、当時は「ざっけんな!!人の不幸で飯食ってんじゃねえぞ、コラァ!!死ね!!」と思ってしまった。(実際そんなことは無かったのは先述の通り)
 
 しかし、実際に本編を見ると僕は戸惑ってしまった。予告編と同様津波シーンはフィクショナルに見えてしまうのに変わりはない。いくらなんでもあんなに大きな津波に飲み込まれたら助かる見込みなんて無いだろう。これだけ大袈裟に描いてしまうと要の家族ドラマが希薄になってしまうんじゃないか。そう思っていたけれど、何故かこの津波描写を『2012』や『TSUNAMI』と同列に扱ってリアリティの無い物として簡単に批判する事が出来なかった。
 
 一つには撮影方法かもしれない。この映画の津波シークエンスではほとんどCGは使われていない。パヨナ監督は「CGにリアルさを感じない」として、あくまで「本物の水」を使う事にこだわり、模型や水中タンクでの撮影を敢行した。(The New York Times"Creating the Tsunami Scene in the Movie 'The Impossible'"に依る)そのため、CGには無い物理的な迫力が画面に現れているのだろう。

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 もう一つ、心理的な事を述べると、そもそもリアルな津波表現とはなんだろうと疑問に思ってしまった。あの日浦安も被害を受けたが、別に誰も死んだわけじゃないし東京湾なので大津波は来ない。もしかしたらこの映画と同じ距離で同じ規模の津波に巻き込まれた生存者だっているかもしれない。
 
 言うなれば結局僕は映像の中でしか津波を見た事が無いのにそれと比較して批判していたのだ。自分の被害者面した意識に気付いて困惑してしまったのだ。津波の映像が真に迫っているだとか、ただの虚像でしかないだとか、決めつける資格が僕には無い。
 

 僕以外に似た感覚を得た人がいるか分からないが、東日本大震災の体験はこのように映画を一本鑑賞するだけでもノイズになってしまっている。もっと素直に映画を観たいよ…。だが、残念ながらこれに気付いてしまったからと言って、今後も震災映画を観る時はやはりあの日の映像を脳裏に浮かべずにいられないだろう。 

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 さて関係ある話か分からないが、本作が始めて日本で公開されたのは昨年の東京国際映画祭(TIFF)だそうだ。この作品を買いつけたプレシディオの担当者が試写上映前に、TIFFでの観客からのアンケートを読み上げた。「この作品が何も問題なく日本で公開される日が来る事を願っています」このアンケートに昨年公開された『のぼうの城』という大作邦画を思いした。『のぼうの城』は大迫力の水攻めシーンを製作していたのに、東日本大震災を受けて大幅にシーンを削る事になってしまった映画だ。せっかく特撮界きっての名匠樋口真嗣が監督していたのに非常にもったいない。 

 

 震災直後はサザンオールスターズの名曲『TSUNAMI』もラジオ・テレビ各局からの自粛対象となっていたが、確かに被災者の気持ちを充分配慮する必要はあるものの、いつまでも表現の幅が狭まってしまうのは残念な事だと思う。そんな中、まだ十分に宣伝出来る環境であるとは言えないが、この『インポッシブル』が日本で公開されるというのは傷がある程度は癒えた一つの目印になるんじゃなかろうか。

 

 長々と自分でも何言ってんだかよく分からない事を述べたが、作品自体はとても優れた物だと思いますのでオススメです。『インポッシブル』は6/14(金)TOHOシネマズシャンテ他にて全国ロードショー。

 


注1 実際には
"How can you tell which one is dead and which one is not?"
「どの星が死んでて、どれが生きてるかなんてどうやったら分かるの?」
"Oh, you can't. It's impossible. It's a beautiful mystery, isn't it?"
「分からないわ、絶対に。でも美しい神秘じゃない?」
というやり取り。
 ちなみに試写会後にアンケートを受け取ったが、一番最後の質問が「この映画のテーマはなんだと思いますか」というもので、回答欄が選択式。
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普通こういうのって自由回答だと思うんだけど、これ一番上のを選ばせたいだけでしょ!
 
注2 浦安市を舞台にした僕のオールタイムワースト映画、否、ゴミ。最近公開された、おじいちゃん達が楽器を演奏する映画の事ではありません。