本家12年ぶりの最新作『シン・ゴジラ』が1週間限定でアメリカ上陸したので鑑賞。昨日は現地劇場での様子をレポートした*1ので、今日は個人的な感想を書く。
『エヴァンゲリオン』シリーズの庵野秀明が総監督・脚本・編集を務め、平成『ガメラ』シリーズ、『進撃の巨人』の樋口真嗣が監督・特技監督、准監督・特技統括を尾上克郎、音楽は鷺巣詩郎が担当。長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ、高良健吾、市川美日子、大杉漣、柄本明、國村隼人、平泉成ら総勢328人のキャストが参加。
何度も公言しているが、僕は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』が大嫌いである。ウジウジしたTVシリーズにもあまりいい印象は持っていなかったのだが、エンタメに徹した『序』と『破』には燃えに燃えた。ところがTV版や旧劇場版のように一気に振り出しに戻った『Q』には呆れた。長年引きこもっていた少年がようやく外に出てきたと思ったらまた部屋に戻ってしまったのである。全く成長が見られない。
世間的には「『Q』こそが『エヴァ』だ!」と絶賛するファンもいるが、分からず屋の少年がずっとわがままを言ってる様や延々とピアノを弾いている描写を見続けるのには単細胞の僕には我慢ならなかった。素直に観客が見たいものをどうしていつもぶち壊すのだろうか。『エヴァンゲリオン』の分かるやつだけ分かればいいというような、これみよがしな高尚さが腹に立つのである。
だからこそ12年ぶりに作られる国産ゴジラの総監督が庵野秀明になると聞くと僕は如実に拒否反応を示した。こちらは素直にゴジラシリーズの最新作が観たいだけなのに、また庵野がぶち壊してしまうんだろう。頼むから普通に作ってくれ…。実際に僕がどれだけ本作に懐疑的であったかを示すためにこれまで残してきた批判的なツイートをすべて載せておこう。
『シン・ゴジラ』とかいうタイトルセンスからとてつもない庵野臭が…。誰が付けたかしらんが。“@hiralino0113: ゴジラ、襲来 pic.twitter.com/tClkGjlbgI”
— Taiyaki (@HKtaiyaki) 2015年9月1日
いいか、庵野、余計なことをしなくていいからな!その特撮愛だけぶちまけてくれればいいから!14年後とか絶対にやめろよ!
— Taiyaki (@HKtaiyaki) 2015年9月1日
「『シン』には新・真・神など色々な意味を込めた」って言われても、「うん、知ってた」としか言いようが…。というか庵野お前いつも同じ発想じゃねーか。
— Taiyaki (@HKtaiyaki) 2015年9月22日
『シン・ゴジラ』はとりあえず口が裂け過ぎだと思いました。
— Taiyaki (@HKtaiyaki) 2015年12月9日
あ、もう嫌な予感してきた…。/庵野節炸裂の映像が到着!! 映画『シン・ゴジラ』特報 https://t.co/0ySHejvHmp
— Taiyaki (@HKtaiyaki) 2015年12月10日
小難しい『ゴジラ』をやるくらいなら早よ『エヴァ』終わらせろや。としか言えないのでね、お願いしますよ…?
— Taiyaki (@HKtaiyaki) 2015年12月10日
そして遂に、ようやく自分の目で『シン・ゴジラ』を観れた心境がこれである。
「庵野だから」ということだけを根拠に散々ここまで叩いてきた以上、僕は自らの不明を恥じねばらない。庵野秀明監督、大変申し訳ありませんでした。『シン・ゴジラ』は庵野秀明が東宝怪獣映画の伝統をぶっ壊した果てに誕生したゴジラ映画の傑作である。
まず特撮映画として、ゴジラが東京を蹂躙する様に異様なほどのカタルシスを覚える。実家から送られた映画秘宝を読むと庵野監督はVFX制作会社にコマ単位での注文をしたそうだ。公開直前にもなって編集が未完成との不穏な噂が流れたのもそのためだが、そうしてできあがった映像はアニメーター出身の庵野監督のフェティシズムが垣間見える。ゴジラが伝統の着ぐるみではなくCGで表現されたのは、庵野監督のアニメーター出身ゆえの感性を活かすためであった。
そして『シン・ゴジラ』は特撮映画でありながら、ドラマパートの割合があまりに多く、そして驚異的にそのドラマ部分が面白い。これまでの怪獣映画における作戦や会議に始まる人間ドラマは映画に一定のリアリティを付随するためのもので、映画としては流れが止まりメインの観客層である子供には退屈なものであったはずだった。ところが『シン・ゴジラ』はリアリティを徹底的に追及したために、まるで人間ドラマがメインであるかのような逆転現象すら起こしてしまっている。
ここで「人間ドラマ」と書いたが、しかし各登場人物のキャラクターを掘り下げることに『シン・ゴジラ』は時間を割かない。あくまで日本政府周辺のみで物語は進み、登場人物たちの家族は出てこず、それこそ過去のゴジラ映画にあったようなとってつけたロマンス描写もない。巨災対の人間たちがストイックに怪物に挑む様だけを2時間ひたすら見せつける。
その巨災対のメンバーたちがゴジラ対策に試行錯誤する様はモノづくりの喜びに通じるものがある。ゴジラ襲来という絶望的な状況立ち向かっている割には巨災対の活動はどこか楽しそうにも見えた。それこそまさにアニメ制作や映画制作の現場のようでもある。『シン・ゴジラ』に登場人物たちの家族は出てこないが、それは巨災対というチームがそれを補完しているからではないだろうか。だから徹夜明けの臭うシャツの着替えを促す、なんてちょっとした会話が愛おしい。『シン・ゴジラ』はチームワークの映画でもある。
しかし庵野秀明監督は伝統をぶっ壊したと書いたが、実は先人たちへの敬意も忘れてはいないところもにくい。CGで作られているもののゴジラの動きはあたかも着ぐるみのようで、船から始まる物語や「列車」もまさに初代『ゴジラ』に則っている。『エヴァ』感溢れる鷺巣詩郎の音楽とは少しミスマッチに感じるものの、伊福部昭の音楽は使われるだけでやっぱり鳥肌が立つ*2。『シン・ゴジラ』はシリーズをスクラップ&ビルドしてできた傑作にも見えて、庵野秀明と樋口真嗣の特撮愛も炸裂した怪獣映画なのである。