「え、君アーカンソーから来たの?」

 インターン時代にお世話になった先輩社員と半年ぶりに会う。久しぶりの熱燗を飲みながら僅か半年の間に起きた変化を聞いたり進路の相談などに乗って頂く。

 

 その後、場所を移し彼女の友人たちと知り合う。「どこから来たの?」と聞かれる度に「アーカンソー」と答えると必ず笑われるか驚かれる。「日本で一番小さい街はどこだ?」と聞かれる。なんでそんなこと聞きたいんだろう?と思いつつ「うーん、多分鳥取とか島根って場所にあるかな?」と答えると「お前がわざわざ留学している場所はそういうところだ」と教えてもらう。なるほど、分かりやすい。

 

 実はこの前にソーホーの近くにあるニューミュージアムという現代美術館に寄ったのだが、そこで身分証を提示した際「え、あなた私より年上なの?」と半笑いで聞かれたので「え、何、若く見える?」って調子乗ったら「いや、アーカンソーの免許書なんて初めて見たから偽IDかと思った!」って笑われる。

 

 この旅行中何回かUberLyftなどの配車サービスを利用したが、「お客さん、どちらから?」と聞かれる度に「アーカンソーから」と答えると「ええ、そんなところから来る人なんて初めて会った!」とか「アーカンソーってどこ?」とか色々言われる。

 

 こんな感じでこの旅行中アーカンソーのど田舎っぷりを死ぬほど味わってきた。でも日本人や世界の人がイメージするアメリカ人とはニューヨーカーやLAに住んでいる人のことで、しかしアメリカ南部諸州に暮らしている人々が実はリアルなアメリカの姿であることは忘れてはいけない。同じアメリカ人にすら忘れられた辺境の地、それがアーカンソーなのである。

 

(※この文章は帰りの電車の中で酔っ払ったまま書いたので何が言いたいのかイマイチ要領を得ない)