『スター・ウォーズ(以下SW)』サーガ最新作『最後のジェダイ』を鑑賞。監督・脚本は『LOOPER/ルーパー』のライアン・ジョンソン、製作はキャスリーン・ケネディ、JJエイブラムス。音楽はジョン・ウィリアムズ。キャスト陣は前作から引き続き、デイジー・リドリー、アダム・ドライバー、ジョン・ボイエガ、オスカー・アイザック、キャリー・フィッシャー、ドナルド・グリーソン、そしてマーク・ハミルらが続投。
僕を激怒させた『フォースの覚醒』*1から2年。あれからフランチャイズに関するニュースを聞くたびに暗澹たる気持ちにさせられたが、再び『SW』の物語が前に進んでしまった。もはやこちらが如何に声を荒げようと勝手にどんどん作られていくシリーズとなってしまったため、諦めて受け入れていくしかない状況が悲しい。
しかし現行のシークエルシリーズはひとまず三部作で完結し、この『最後のジェダイ』は完結編に向けての橋渡しとなる。もうディズニー傘下の『SW』に期待していないとはいえ、やはり『SW』は『SW』である。翌日仕事があるにもかかわらず公開日前夜祭上映でリンカーンシアターのIMAXで1:50amの回を予約し、当日は並々ならない緊張感で『最後のジェダイ』に臨んだ。
こんなド深夜の回で観るときに限って『最後のジェダイ』はシリーズ史上最長の152分である。ところが『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』の予告の時点で拍手・声援をあげていたアメリカの観客たちのテンションは高く、ルーカスフィルムのロゴが現れジョン・ウィリアムズのテーマが鳴り響いた瞬間のボルテージも凄まじいものだった。観客たちのテンションは終始このような高さでまるで絶叫上映のように楽しかったが、彼らの興奮とは裏腹にやはり映画が進行するにつれ冷めていく自分に気がついてしまった。
正直にいうと『フォースの覚醒』よりはずっと楽しめた。宇宙戦闘シーンの迫力、BB-8の戦闘における活躍、斬新なライトセーバーの使い方など、前作からの改善点は多く見られる。『フォースの覚醒』はどうも全編安定感を重視しすぎたビジュアルだったのに対し、『最後のジェダイ』は時折エッジの効いた場面*2を見せるのも印象深い。
ただ、『最後のジェダイ』はそのエッジの鋭さだけではカバーしきれなかったほど映画全体に粗や欠点が多すぎた。『最後のジェダイ』は『フォースの覚醒』の直後の物語となった為、オープニングクロールがシリーズ史上最も内容が無いクロールであった。別にそれだけを取り上げて批判したいわけでは無いが、『最後のジェダイ』はサプライズを重視するあまり無駄となる展開・セリフ・キャラ*3が看過できないほど多い。特にすでに話題になっている中盤のフィンとローズの冒険はプロット・ビジュアル*4の双方の面で酷く、丸々カットしたって良いくらいだ。
大体、『フォースの覚醒』と『最後のジェダイ』の間で何か大きな変化はあったろうか。基本的な勢力図や人間関係は変わらないし、時間だって数日くらいしか経過してないし、レイの親の正体だって判明したところでピンとこないし、スノークが結局何だったのか訳がわからない。ディズニー以前・以降の『スター・ウォーズ』の作劇の大きな違いはそこで、ルーカスは決して観客のみを置き去りにする謎を作ることはなかった*5し、伏線ありきで話を作ったりもしなかった。それはやはりルーカスの目論見は「スカイウォーカー家の物語」という歴史を創造することであり、今のディズニーはシネマティックユニバースを形成する連続ドラマを作ることに重きを置いていることから生じる差異ではなかろうか。
シリーズ最長の尺の割に物語に進展がない『最後のジェダイ』は『SW』史上最も薄いエピソードだ。そしてそれだけにオープニングクロールの内容の無さが皮肉にも本作の象徴したものとなってしまっている。しかし、それは何も『最後のジェダイ』が悪いのではなく、このような形で始めることしかできなかった『フォースの覚醒』の終わり方にも問題があったし、更にいえばディズニー=ルーカスの構成力の甘さのせいではないか。もっといえば、最初から『スター・ウォーズ』の新作なんか作らなければ良かったんだ!と、いつもの愚痴を改めて書いて締めたい。
スター・ウォーズ/最後のジェダイ オリジナル・サウンドトラック
- アーティスト: V.A.
- 出版社/メーカー: WALT DISNEY RECORDS
- 発売日: 2017/12/15
- メディア: CD
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