『ジュラシック・パーク』シリーズ最新作『ジュラシック・ワールド/炎の王国』を鑑賞。監督は『インポッシブル』『怪物はささやく』のJAバヨナ、脚本・製作に前作の監督コリン・トレヴォロウと彼とよくコンビを組むデレク・コノリー、製作総指揮にスティーブン・スピルバーグ。音楽はマイケル・ジアッキーノ。主演は前作から引き続きクリス・プラット、ブライス=ダグラス・ハワード、脇をジェームズ・クロムウェル、レイフ・ポール、イザベラ・サーモン、ジェラルディン・チャップリンらが固め、ジェフ・ゴールドブラムがイアン・マルコム博士として再登場。
『炎の王国』はいつもと違う
予告編と邦題『炎の王国』が示すとおり、本作で恐竜達を囲っていたイスラ=ヌブラ島は活性火山であることが判明し、間も無く噴火によって恐竜達は絶滅の危機を迎えようとしていた。しかし、スペクタクルなこの場面は本作のほんの前半部分に過ぎず、後半はガラリとトーンを変える。雷雨が降る洋館を舞台に繰り広げられるサスペンスはあからさまにこれまでのシリーズと異なるゴシックな雰囲気だ。
『ジュラシック・パーク』シリーズは恐竜についての映画ではない。怪獣映画である。『ゴジラ』をリスペクトするスピルバーグは『ゴジラ』のリメイク企画を断る代わりに『ジュラシック・パーク』*1を作って人間を襲う恐竜を思う存分に描き、T-REXを人間世界に放った『ロスト・ワールド』のエンディングには『怪獣総進撃』にオマージュを捧げた。監督がジョー・ジョンストンに代わった『ジュラシック・パークIII』やコリン・トレヴォロウの『ジュラシック・ワールド』*2は科学的正しさよりも怪獣映画としての側面が強調され、大型恐竜同士のバトルまで描いた。
そんな『ジュラシック〜』シリーズ最新作にスペインの気鋭J・A・バヨナが起用されたと聞いて驚き、どういう作品に仕上がるかいささか興味が湧いた。そして満を辞して作られた『炎の王国』はやはり予想通り斜め上の展開を見せて我々を驚かせた。
J・A・バヨナの作家性炸裂
J・A・バヨナはギルレモ=デル・トロ製作の『永遠の子どもたち』で長編映画にデビュー。(ちなみにギルレモ=デル・トロは本作のスペシャルサンクスでクレジットされている)『永遠の子どもたち』は孤児院を舞台にした、行方不明になった息子を錯乱して探す母親の心霊スリラーであった。
続く『インポッシブル』はスマトラ島沖地震を描いた実話ベースの映画で、離れ離れになった家族を生々しい災害描写と幻想的な世界観を同居させて描いて見せた。昨年公開された『怪物はささやく』でも母親をなくす恐怖に怯える少年と時折彼の目の前に現れて物語を語る怪物の交流をゴシックファンタジーとして描いた。
こうしてみると、J・A・バヨナは一貫して、愛するものを喪失する危機にある人物たちの物語を描いており、そのためほぼ全ての作品に子供に焦点が当てられている。そしてスピルバーグも往往にして崩壊の危機にある家族や両親が離婚した子供をよく描く作家として知られており、そのためか『ジュラシック・パーク』シリーズは全作品通して子供が散々な目に遭うパニック映画でもある。J・A・バヨナが『炎の王国』に抜擢されたと聞いたときは少し意外であったが、こうして彼の作品と比べてみると実は真っ当な起用だったと言える。
さて、今回散々な目に遭う子供はイザベラ・サーモンが演じるメイシー・ロックウッドである。彼女には両親も友達がおらず、広い洋館に祖父のベンジャミン・ロックウッドと暮らしている。ネタバレになるから詳しく書けないが、彼女にはインジェン社が生み出した恐竜たちと意外な接点を持っている。そのため元気いっぱいに洋館を走り回る彼女にはどこか悲哀な雰囲気が漂っている。彼女にはJ・A・バヨナらしさが詰まっている。
シリーズ初のモンスター映画
さらにJ・A・バヨナは恐竜の演出方法にも変化をもたらした。前作から遺伝子操作によって開発された新恐竜インドミナス・レックスが投入されたが、本作にはその遺伝子をさらに活用したインドラプトルが登場する。そもそも恐竜を現代に甦らせる技術はフランケンシュタイン博士が犯すタブー・生命創造を想起させるが、遺伝子をツギハギして作られるインドミナスシリーズはより一層フランケンシュタインの怪物そのものだ。
元々ホラー映画の大ファンでもあるJ・A・バヨナはその点に着目し、だからこそ本作のクライマックスの舞台をいつものようなジャングルやパークではなく、ゴシックな雰囲気の洋館を選んだのであろう。J・A・バヨナ作品特有の陰影のコントラストをハッキリとつけた撮影はまるで白黒映画のようで、余談だが『ジュラシック・パーク』シリーズはまさに過去にクラシックモンスター映画を量産したユニバーサル配給ということもあり、ダーク・ユニバースも成し遂げなかったモンスター映画の復活を果たしたのである。
「判断を見誤れば、恐竜たちは人間が絶滅した後も生き残る」
僕はこのようなモンスター演出にフレッシュさを感じて楽しんだが、『炎の王国』には問題点がないわけではない。今まで述べてきたように、J・A・バヨナは恐竜を使ってモンスター映画を作りたかったことは明白だ。しかし、その「やりたいこと」に引っ張られてしまい、せっかく人間界に恐竜たちを連れてきても洋館に閉じ込めてしまい、さらに洋館でアクションを展開しやすいようにラスボスとなるインドミナスラプトルを比較的中規模サイズの恐竜として描いてしまっているので、続編なのにスケール感が縮んでしまっているのは残念だ。
ただし、次作に向けた布石はキチンと打っており、エンディングは『ジュラシック〜』シリーズ世界の拡大を予感させるもので、これには『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』のラストにも通ずるものがある。同時に『最後のジェダイ』がシリーズの中でも論議を呼ぶ作品となったように、『炎の王国』もファンからの賛否を呼びそうだ*3。しかし『ジュラシック〜』シリーズも中々終わりの見えない作品になりそうで、僕はそっちの方が心配である…。まさにマルコム博士が言っていたことがフランチャイズを象徴する皮肉になりそうだ。
「判断を見誤れば、恐竜たちは人間が絶滅した後も生き残る」