カリブの海賊日誌・後編

これらの記事の続きです。

 

バルバドスの街並み

 バルバドスは車で3時間もあれば一周できるほど小さい島だ。その島で最も発達しているのが首都ブリッジタウンである。ブリッジタウンという名の通り街中に橋が架けられている。船舶も多く停泊しており、『パイレーツ・オブ・カリビアン』に出てきそうな港町だ。

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 建物はまるでイギリス植民地時代を真空保存したかのよう。ニューオーリンズにちょっと似ているし、バルバドスにもニューオーリンズという地名がある。

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 街を離れればこんな感じ。少し高度が高い場所に行くだけで水平線が見えてしまう。

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 ところでバルバドスの通りを歩いていて気づいたことが一つあるのだが、バルバドスにはマクドナルドがない!代わりによく見かけるのはケンタッキーフライドチキンと現地のチェーン店であるシェフェテ(Chefette)くらい。調べてみると過去にもマクドナルドは存在したそうだが、基本的にバルバドスでは魚と鶏肉しか食べられていないので全くはやらず、6ヶ月を待たずに店を畳んでしまったらしい。アメリカ資本主義がどこにでも通用するわけではないのだなぁ。

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 シェフェテはこのチキンローティってやつがべらぼうに美味い。チキンカレーを包んだラップで500円くらいで食える。

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バルバドスの歴史

 せっかく南国の島には来たが、スーパーインドアマンな僕は海水浴にはあまり興味がなく、というか友達も家族も恋人もいない状態で海で一人で泳いで楽しむっていうのが僕には理解できなかった*1。ただバルバドスという国や文化自体に興味は尽きなかったので、バルバドスの歴史博物館に足を運んだ。

 

 歴史博物館といっても大層なものではなく、この外観写真を見れば分かるような小さいものだった。チケットブースも何もなく、ただ警備員が一人だけ座っている受付で20バルバドスドルを寄付金として払うように指示されて入館する。ちなみにバルバドスドルは基本的にドルの半額で、なんなら米ドルだってバルバドスでは使える。単純に表示されているバルバドドルの半額をドルで払えば良い。しかし小さい博物館のくせして写真撮影を禁じられていたのは残念だった。残念だったと思うくらい展示物が興味深い。

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 元々多くのカリブ海の島国と同じく、バルバドスには先住民(アメリインディアン)が住んでいた。先住民たちは南米のガイアナから渡ったとされるが、詳細は分かっていない。何故なら先住民たちはもうバルバドスには残っていないからだ。16世紀から17世紀にポルトガルやスペインの奴隷商船によって無人島化されてしまったそうだ。そうだ、という濁した言い方をしたが、これには諸説あるらしい。しかし、いずれにせよ北米や南米、はたまたその他カリブ海の近隣諸国と同様に西洋文明によって先住民たちがひどい仕打ちを受けてきたことは間違いがなく、その記録もあまり残っていないというのもむしろ残虐性を際立たせていて恐ろしい。

 

 無人島化されたバルバドスを植民化したのはイギリスで、砂糖のプランテーションのために大量の奴隷が西アメリカから連れてこられた。現在のバルバドス人口の9割が黒人であることは前編で書いたと思うが、彼らは皆奴隷の子孫であったのだ。奴隷制は200年近く続いたが、奴隷たちによる大規模な反乱を契機に19世紀初期に廃止された。奴隷制が廃止されて以後も白人農場主による独占政治が続いたが、黒人たちによる参政権運動が行われて1930年代末にようやく黒人奴隷の子孫にも参政権が認められた、というのが大まかな歴史である。

 

 如何せん写真を撮っていなかったので詳細は忘れてしまいだいぶ端折ったが、バルバドスの民主化の流れはアメリカの公民権運動と実によく似た流れを辿っている。しかし、市民権を勝ち取ってそのまま社会の中心にいる役割を果たせたバルバドス人たちと比べて、アメリカの黒人たちは公民権運動を終えた後も変わらず50年間社会から圧迫され続けいている。差別などなさそうで陽気で幸せそうなバルバドス人たちの姿からそんなことに思いを馳せてしまった。

 

 

 

*1:と書いたものの、NYに帰る直前に「でもせっかくバルバドスに来たんだから海行かないと!」と半ば義務感で水着とシュノーケリングゴーグルを急いで高い金出して買って泳ぎに行ったが、やっぱ泳いでる間に荷物盗まれんじゃないだろうかとか、やっぱり一人で黙々とただひたすらに泳いでるのって間抜けな画だなぁとか考えると全く面白くなかったでござんす。