母親に逆らってワクチンを受けた少年

 一般的なイメージでアメリカは世界を先導する科学先進国だろう。世界最先端の技術を要する企業が揃っているし、並外れた予算を持つアメリカの大学や研究所には世界中の優秀な人材が集まる。しかし、そういったイメージとは裏腹にアメリカには変なところで非科学的で前近代的な側面がある。「アンチ・ヴァクサー(Anti-Vaxer)」と呼ばれる人たちはそういった奇妙な部分のアメリカを代表している。

 

 つまり、アメリカには「ワクチン予防接種は自閉症をもたらす」と信じ込んでいる連中がおり、彼らは子供にワクチンによる予防接種を受けさせない。町山智浩のエッセイ集『マリファナも銃もバカもOK の国 言霊USA2015』(文藝春秋)には以下の記述がある。

政府や科学者たちがいくら証拠や資料を揃えてワクチンと自閉症は関係ないと説明してもアンチ・ヴァクサーたちは聞く耳持たない。「政府と医薬品会社が結託した陰謀」と信じ込んでいる。「地球温暖化は左翼の陰謀」と思い込んでいる人たちにいくら科学的根拠を見せても無駄なのと同じことだ。

マリファナも銃もバカもOKの国 言霊USA2015
 

 陰謀論に傾倒するアメリカ人が多いのは興味深い特徴だが、特に移民当時の生活様式を営む宗教集団アーミッシュが多く暮らすオハイオ州ではアンチ・ヴァクサーは顕著だ。2015年の地元ニュース紙によれば、オハイオ州内で宗教的・個人的理由でワクチン接種を拒んだ子供の数は過去10年で3倍に膨れ上がったという。

 

 反知性的な大人のせいで子供たちの健康に被害が生じるのは大変憂慮すべき事態だが、そんな大人たちに反旗を翻している少年が今アメリカで注目を集めている。イーサン・リンデンバーグ君はオハイオ州に住む高校生だが、これまで母親がやはりワクチン接種は政府の陰謀と信じ一切受けさせてもらえなかった。そして母親がワクチン接種が悪であると信じ込んだのは、Facebookフェイクニュースを読んだからだった。

 

 幸い、賢いイーサンくんは自分でリサーチを重ね、ワクチンと自閉症には何ら関係がないことを示す証拠を揃えたがそれでも母親は聞き入れてくれなかった。数ヶ月前に18歳になった際Redditに「18歳になったんだけど、どこでワクチン接種を受けられる?」と投稿して彼は全国的に有名になり、数々のニュースメディアに取り上げられるようになった。無事に両親の許可なしでワクチン接種を受けることができたイーサンくんは、ついに今週火曜日に米国連邦議会の保健・教育・労働・年金委員会に招かれワシントンDCまで足を運び公聴会に出席したのだ。

 

 今年は麻疹が世界的に流行している。予防接種を受けることは自らを守るだけでなく、他人に広げないためにも大事なことだ。イーサンくんが公聴会に呼ばれたのはワクチン接種の重要性を広めるたmで、18歳とは思えない堂々とした口調で母親が誤った情報を信じ込んでしまう経緯を説明し、教育の重要性と、誤った情報の危険性を訴えた。

 公聴会の最中、イーサンくんが度々口にするのは「情報」という言葉だ。ポスト真実の時代とも呼ばれている現代、いかに見出しや都合の良い情報、あるいはフェイクニュースに踊らされてる人々が増えていることか。現代の諸悪の根源はSNS社会にあるのではないかと思ってしまうが、しかし無数の情報の中で真実を見極める目を持っているのは大人たちではなく、意外にもイーサンくんみたいにデジタル文化に慣れ親しんできたミレニアル世代だったりするので、彼らが大人になるにつれ世の中は好転していくんじゃないかと僕は微かな希望を抱いている。