【Taiyaki生きてます通信#18】強制送還された。

  • ご存知の通り、8/17〜8/25までの間免許証の更新で日本に一時帰国していた。いや、一時帰国するつもりだった、と書いたほうが正しいのかもしれない。
  • 滞在中は毎晩毎晩久しぶりに会う友人や先輩・後輩、仕事でお世話になっている方々などと飲み明かし、25日は夜遅い便で家族と最後の食事を羽田でして名残惜しく別れ、時差ボケ対策に26日(月)朝5:00にNYに到着してそのままオフィスに向かう予定であった。
  • 今回の便は直行便ではなく、LA経由でNY入りするものだった。時差ボケ対策で羽田⇄LA間は一睡もせず映画をひたすら観て過ごし、LA空港でメラトニンを摂取、更に酒もたらふく飲んでLA⇄NY間で爆睡するプランであった。なお、飛行機内で観た映画は『言の葉の庭』『Teen Spirit』『愛がなんだ』の3本である。
  • さて、LA空港に到着。いつも通りビザ保有者の列に並んで移民審査ブースを通る。アメリカの審査官は大抵態度が悪いので、優しい人だといいなぁと思っていたら感じのいいおじさんに当たった。僕のパスポートに貼られている学生時代のビザを見て「アーカンソーの学校に行ってたんだ」なんて世間話をしてたくらいだ。今回は意地悪されず通れそうだな、と思ったのも束の間、「ついてこい」とだけ伝えられて別室に通された。この時点で頭の中は「???」であるが、逆らうだけややこしくなるので素直に従う。
  • 別室を通ると50人くらいだろうか、移民審査をはねられた渡米者達が待たされていた。見渡すと大半が中国系やヒスパニックで、すぐ横の面談ブースで移民官が強気な口調で面接していたこともあり、圧倒的な負のオーラが蔓延していた。ここで座って待つように言われる。
  • 僕の次の便は3時間後であったので最初は余裕を持っていたが、中々名前が呼ばれなくて段々焦ってくる。壁という壁に「スマホ禁止」の張り紙があり、事実スマホを弄っていたヒスパニックの女性が移民官に怒鳴られてスマホを没収されていた。退屈という地獄に我々は放り込まれてしまった。手持ち鞄の中に2ヶ月分の映画秘宝を入れていて良かった。
  • 隣に座っていた、移民審査常連(なんじゃそれ)というロシア人と話をしていた。僕が「次の便があるから早くして欲しいんだよね」と愚痴を言うと、「奴らはそんなこと気にしないよ」とのこと。「俺はこれまで強制送還されてる人を何度か見てきてるけど、皆自腹で帰らされるんだ。審査室でいつまでも寝ている奴らがいるが、そういう連中は金が払えなくて帰れない奴らなんだ」げげ、何だよそれ、『ターミナル』かよ!
    ターミナル (字幕版)

    ターミナル (字幕版)

     
  • 待って1時間くらいしただろうか、ようやく自分の名前を呼ばれる。個人情報なのであまり僕のビザの詳細は書かないが、僕のビザは有効期間であったし、滞在中に労働もできるものであった。しかし審査官に「帰りのチケットはあるか?」と聞かれて何を言ってるか分からず「そんなものはない」と答えると「じゃあいつ帰るのか?」と聞かれて「ビザが有効なうちはこっちにいる」と答えたら怪訝な顔をされ、再び待つように言われた。もう、飛行機の時間が無くなっちゃうじゃん!と憤ったが、今にして思えばそんな心配は随分呑気な悩みだった
  • 待っている間、色んな人の面談を見ていた。面談、と言うかもはや尋問だった。とある中国系の女性は14年間アメリカに住んでいるが英語がうまく喋れず、移民官に「なんで14年も住んでいて英語が喋れないんだ!」と怒鳴られていた。そんなもん、チャイナタウンとかに住んでいたら英語を話さずだって暮らしていけるだろうに。他にも質問にうまく答えられない面談者の回答を笑ったりする移民官もいてかなり心象悪く、正直レイシストだと思った。
  • もう次の乗り継ぎ便の時間はだいぶ怪しく、ソワソワしていたらようやく名前を呼ばれた。更なる別室にある移民官のオフィスに通されて家族構成から現在の所持金、婚姻関係、年収に至るまでかなり仔細に質問を受けた。ここで嘘をつくのは得策ではないので、全て正直に話した。
  • 質問を終えるとまた待合室に座らされる。もういい加減映画秘宝で読む記事もなくなってきた頃、別の審査官二人組みから呼ばれてまた異なる別室に通される。その別室は窓も一切なく、冷房がキンキンに冷え、スチール製の腰掛けがあるのみでかなりギョッとさせられた。独房にしか見えないからである。所持金を全て出すように言われ、持っていたドルと日本円、あとオマーン人の友達に昔もらっていた価値もよく分からない5オマーン通貨も提出した。紐付きズボンだったが紐も取るように言われ、壁に手をつかされて身体中を調べられた。まるで犯罪者のような扱いであり、人間としての尊厳をかなり傷つけられた。
  • 保安チェック(と彼らが呼んでいた作業)が終わると、先程面談を受けた移民官に呼ばれ、僕のビザが取り下げになり、深夜便で日本に送り返されることを通告される。もう全くもって意味不明だったが、一睡もしていないので心身共に疲れており、抗議をする気も起きなかった。ただ特別に許可をもらい、日本にいる両親に電話させてもらい、深夜だったNYへは上司にテキストで緊急事態を知らせた。ちなみに飛行機代はもちろん自腹である。その場で払えたから良かったけど、無かったら僕もトム・ハンクス状態になっていたのだろうか。クラコーウジア!
  • 強制送還させられる人は所持品を没収させられ、更に奥の別室に連れて行かれる。腰掛け椅子と毛布、カップラーメン、水、オムツがたくさん用意されている。どの部屋もそうだが、基本的に移民事務所の部屋はどこも寒い。壁に移民への虐待を抑止する啓蒙ポスターが貼られてあったが、こんなもので人権に配慮してると思っているんだろうか。
  • 強制送還室(?)に中国人の学生がおり、話を聞くと23時間拘束されたそうで、8時間くらいで済んだ僕は幸運だという。何故中国に送り返されるか聞いたらカンニングで学校を退学処分になっていたそうだ。なんという代償のでかいカンニングなんだ!ちなみに僕以外にも日本に帰らされる男の子(おそらく学生)がいて、彼は人目を憚らず号泣していた。
  • 僕たちのフライト時間が近づくと、移民官に連れられてゲートまで行く。通常の客の乗り込みが終わった後僕らは席まで案内される。帰りの便は言わずもがな爆睡である。合計28時間、僕はほとんど座っているだけで何もせず日本に帰ってきた。
  • 早朝4:30に羽田に着き、会社の上司に速攻で連絡して状況報告をした。会社の弁護士とも話をしたが、僕のビザには全く問題がなかったそうで、担当した移民官の気分でこういう事態が起きることもあるそうだ。また、LAはヒスパニック系の入り口ということもあって近年特に入国最近が厳しく、その煽りを食らった形だ。トランプ政権下というのも無関係ではないだろう。
  • あれだけ別れを惜しんで食事をしたのに、2日後には実家に帰っていて家族と顔を合わせるのも恥ずかしい。とにかく今は弁護士がやり取りをしてくれているが、僕は日本滞在中ずっと『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズと『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を見返していた影響を受けて、「もう、どうなってもいいよ…」と心情がシンジ君になってしまっている。なかなかショッキングな出来事で放心してしまったが、取り敢えず今は夏休みが少し延長になったくらいに思い留めてメンタルヘルスを保つことにする。

     

  • なお、日本でもよくクルド人などの移民が数ヶ月以上拘束されるニュースとか聞きますが、経験した身からすると堪ったもんじゃないですよ、アレ!これからは一層アンチ・移民不寛容政策でいきます。
  • これを書いている途中母親は祖母に電話したが「お婆ちゃんをびっくりさせたいから、電話を変わるけど名前を名乗らないでね!」と僕に電話を渡して笑い転げていた。人の不幸を楽しんでるな!