超今更ながら、世界中でブームを巻き起こした『バーフバリ』2部作をNetflixで鑑賞*1。監督・脚本は『マッキー』のS・S・ラージャマウリ、音楽はM・M・キーラヴァーニ。主演はプラバース、共演にラーナー・ダッグバーティ、アヌシュカ・シェッティ、タマンナーら。
せ、説話じゃ!完璧な説話の映像化じゃ…!と、鑑賞後にとてつもない感動を覚えた。いや、もちろん日本公開時、遠い海を隔てて大ブームになっていたことは知っていたが、想像や期待値を遥かに超えた濃密な計5時間半の「物語」であった。
受験生だった頃、古文の問題には泣かされたものだったが、現代語訳で答え合わせした際には妙なロマンを感じていた。古文で登場するほとんどの説話は短文だったが、その中で様々な階級の登場人物が登場し、乱世を生きる逞しい人間模様が描かれていた。説話は非常に「物語」としての純度が高いからこそ、文化や世代の垣根を超えた普遍性がある。
そういった古文と似たようなロマンを『バーフバリ』2部作に感じた。『バーフバリ』はラージャマウリ監督の完全創作であるらしいが、その基盤となっているのは監督が幼少期から魅了されてきた神話にあるという。また、そもそも色彩豊かな衣装やプロップ、セットと、豪華絢爛な音楽やダンスで複雑な人間の感情をケレン味たっぷりに表現してきたインド映画というジャンルが、インド神話を再現した脚本の壮大さと見事にマッチし、非常に濃密な「物語」が生み出されている。
なお、日本語でも英語でも『バーフバリ』の感想を探ると、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』や『ロード・オブ・ザ・リング』、『スター・ウォーズ』などの作品と比べる人が多いのは大変興味深い。『SW』『LOTR』『MMFR』も神話や説話と比較されることが多い映画だ。ところで、この記事で僕は敢えて「物語」とカギカッコ付きで書き出しているが、これは内田樹の『映画の構造分析』という本を今読んでいる影響が如実に表れている。
これによると、どんな媒体であれ、全ての「物語」というのは「構造」がある。そして、ウラジミール・プロップという学者はロシアに伝承される無数の民話を分析し、その「構造」というものは大体31の要素で成り立っていると導き出した。つまり、全ての「物語の構造」は、その31の要素の組み合わせでしかない、ということだ。だが同時に、その貧しい数の「構造」から、人類は無限の「物語」を生み出してきた。コンピューターが0と1の2進数で、複雑な計算を可能にしているように。
『バーフバリ』も話としては非常にシンプルなもので、世界中で語り継がれているような貴種流離譚だ。しかし、『バーフバリ』を唯一無二な映画にしてるのは、像の股を歩く女王だったり、3本の弓矢だったり、首チョンパ馬車であったり、椰子の木カタパルトであったり、未だかつて人類が目撃したことのないビジュアルが覆い尽くしているからだ。それはまた、『SW』『LOTR』『MMFR』といった物語純度の高い映画が、絶大な支持を得ている理由と共通している。
とまあ、色々カッコつけて書いたけれども、結局『バーフバリ』の魅力というものは、鑑賞後に必ず「バーフバリ!バーフバリ!」と口ずさんでしまう、という点に尽きる*2。王を称えよ!