見えてくる「下」はどうしたら良いのだろう?

 今日ちょっといろいろ忙しかったのですが、これだけ。八村塁が所属するワシントンウィザーズとWNBAのミスティックが、ジューンティースに合わせてDCで平和デモに参加したのだが、そのニュースに付随するコメント欄があまりにも醜くて絶句した。この話を昨日カメラマンをやってくれた知人に話すと、「下ばかり見ていてもしょうがなくない?」と一蹴されたけど、見たくなくても見えてしまうくらい「下」が溢れていたら、どうしたら良いのだろう。どうして他者への思いやりや共感に欠ける人間がここまで多くなってしまったんだろう。平和に生きる権利を訴えることが、どうしてそんなに悪く捉えられてしまうのだろう。考えれば考えるほど悲しくなってくるが、今の所正解はやはり、存在しないものとして処理するしかないのだろうか。課題は尽きない。