透明人間史上、最も見えない。/『透明人間』★★★

 ユニバーサルのクラシックモンスター映画をブラムハウスがリブートした『透明人間』を鑑賞。監督・脚本は『アップグレード』のリー・ワネル、製作はジェイソン・ブラム。主演は『アス』のエリザベス・モス、共演にオリヴァー・ジャクソン=コーエン、オルディス・ホッジ、ストーム・リードら。

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 本作を鑑賞する前に透明人間を題材とした作品をいくつか観た。原典となったH・Gウェルズの小説を一番最初に映画化した『透明人間(1933)』、H・Fセイントの小説をジョン・カーペンターが映画化した『透明人間(1992年)』、そしてポール・ヴァーホーベンが2000年に作った『インビジブル』の3本だ。

 

 この3作品は共通して、各年代で当時の最新のVFXを駆使して透明人間を「見せる」ことに注力しているが面白い。透明人間というモンスターの特性を考えると皮肉で興味深いが、透明人間が着用している服が宙に浮いていたり、物がひとりでに動いたり、降り注ぐ水が人型に弾くなどして、視覚的に透明人間の存在を知らしめることで観客に恐怖を与えている。ホラーではなく奇妙なSFサスペンスコメディとして撮られたジョン・カーペンター版に至っては、透明人間の視点で語られるシーンでは常に演じるチェビー・チェイスの姿が普通に映し出されている。

 

 『インビジブル』から20年経ち、その間ハリウッドのVFX技術も大きな進歩を遂げた。本作でも斬新な透明人間表現がいくつか登場する。しかし、過去作と比べると今回の『透明人間』は、どちらかというと透明人間の存在をなるべく「見せない」ことに重きを置いた演出をとっている。そして「見えない」ことは、本作に登場する透明人間の本質的な怖さを効果的に表している。

 

 これまでの透明人間はスケールが大きかった。33年版のジャック・グリフィン博士は薬物実験により透明化し、狂気に囚われて世界征服を企む。92年版のニック・ハロウェイは商談先の研究室でたまたま量子実験の事故に巻き込まれて透明化するが、その力を狙うCIAに追い回される。セバスチャンという男の欲望をありのままに描いた『インビジブル』でも元をたどれば軍のための生体実験が始まりだった。

 

 対して、本作の透明人間は主人公セシリアの元恋人エイドリアンで、過去作品に登場した透明人間と比べると(エイドリアが科学者であることを除いて)非常に卑近な存在だ。セシリアはモラハラやDVを繰り返すエイドリアンから意を決して逃げ出し、友人宅へ身を隠す。セシリアはエイドリアンがいつか目の前に現れるのではないかと怯え、玄関先の郵便受けまで歩くことすらままならないが、エイドリアンの訃報を耳にする。ようやく新たな日常を歩み出せると安堵するのもつかの間、セシリアの周囲で不可解な出来事が多発し、確実にエイドリアンの気配を感じるのであった……というのが本作の粗筋だ。

 

 これまでの透明人間は物理的手段によって脅威を与えてきたが、本作の透明人間は極めて陰湿だ。寝ている姿の写真を撮り、意味なく後をつけたり、自らの存在を知らしめたり、ストーカー行為を繰り返す。勝手に身近な人を中傷するメールを送ったり、あるいは経済的にも追い詰めていて、その攻撃手段は被害者の精神に矛先が向かうもので、だからこそ本作の透明人間が「見えない」ことが重要なのだ。そして、他者からは脅威が「見えない」ために、死んだはずのエイドリアンからの被害を訴えているセシリアこそが妄想に囚われて狂ってるように見えてしまう。

 

 そういえば、僕が予習で観てきた透明人間系統の映画は、全て透明人間が主役として描かれていたが、本作は透明人間からハラスメントを受ける側を主役にしているのも特筆に値する。透明人間は自身が他者から見えないことで、ある意味では究極の自由を手にしており、相手を一方的に見ることができる。一方で透明人間から「見られる側」は常に監視されており、プライバシーや人権を侵害されている。透明人間映画ではこの「見る側」「見られる側」のパワーバランスの不均衡がそのままトキシック・マスキュリニティとして表れており、特に本作は「見られる側」を通してその恐怖が描かれているのがMeToo時代精神が反映されていると思う。必見の傑作。 

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アップグレード (字幕版)

アップグレード (字幕版)

  • 発売日: 2020/05/26
  • メディア: Prime Video