Amazonオリジナルの『サウンド・オブ・メタル〜聞こえるということ〜』を鑑賞。監督は『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』の脚本で知らるダリウス・マーダー、脚本はダリウスが実の兄弟のエイブラハムと執筆、エイブラハム・マーダーは音楽も担当。主演に『ローグ・ワン ローグ・ワンスター・ウォーズ・ストーリー』のリズ・アーメッド、共演にオリヴィア・クック、ポール・レイシー、ローレン・リドロフら。
この映画を見ていて二つのパーソナルなことを思い出した。
以前ブログにも書いたけれど、アメリカにいた時に突発性難聴にかかったことがある。「突発性」と言うくらいだから、シャワーを浴びている時に本当に突然片耳に異物が入り込んだかのように聞こえにくくなってしまったのだ。気圧の問題かと思って顎をガクガク動かしたりするけれど、全然治らない。一晩寝たら治るかと思ったけれど、それでも難聴が治ってない時はいよいよ一大事だと思って病院に行ったことを覚えている。
幸い、僕はステロイドの投与で完治したけれど、五感の一部を失うことへの恐怖は強烈に覚えている。あまりのショックで、病院からの帰り道に考え事をしすぎたあまり、車で赤信号を思いっきり無視をしてしまった。事故を起こさなくて本当に良かったが、それくらい眼前に広がっている世界への認識が歪んでしまうのだ。
こうした「認識への歪み」表現をリズ・アーメッドの演技やサウンドデザインでよく表現できていたと思う。ルーベンが違和感に気づいて耳に指を出し入れしたり顎を動かしたりするのは体験者としては「あるある」として共感できたし、難聴になった時の音の「くぐもり方」はリアルで感銘を受けた。あの「くぐもり」を理解していないと再現できない音だ。全体を通して難聴の世界がよくリサーチされている。
もう一つのパーソナルな体験は、僕がまたアメリカでとあるクリスチャンと出会った時の話だ。他愛もない雑談をしていた時に、彼女がトリリンガルだと言うので、英語の他にどの言語を話せるか聞いたところ、教会活動の過程で学んだスペイン語と手話と答えたのだ。自分は「手話」と言うものを「言語」として捉えたことがなかったので、目からウロコの回答だった。確かに手話は英語で「ハンドランゲージ(hand language; 手の言語)」と言う。
『サウンド・オブ・メタル』で非常に印象的だったのは、聴覚障害者が集まって会話をするシーンだ。もちろん、手話での会話は音がないのでとても静かだ。しかし、手話によるコミュニケーションそのものは非常に豊かで賑やかである様子が描かれている。彼らが何を言っているかは分からないが、盛り上がっているのはよく伝わる。これもまた自分が知らない「言語」の世界だったので、すごく新鮮で面白い。
そして、難聴を患ったばかりで、この「言語」を理解できないルーベンの疎外感や困惑も生々しくて良い。これは手話に限った話ではなく、例えば話せない言葉が主言語の外国に行った時に意思疎通が図れないもどかしさや、自分の知らない言葉で話しかけてくる人へのフラストレーションとよく似ている。『サウンド・オブ・メタル』はコミュニケーションについての映画なのだ。
余談だが、手話を覚えたてのルーベンが卑俗語で仲間と打ち解けているのも、言語を学ぶ過程としてもリアルに感じた。誰しもが中学生時代、英語の辞書でエッチな単語やくだらない言葉を調べた過程があるだろう。僕がアメリカにいた時、知り合って間もない友人からは「日本語でファックってなんていうの?」と必ず聞かれた。逆に僕も他所の国の言語を学ぶとき、汚い言葉から教えてもらった。
耳が聞こえなくなる人の話とはいえ、『サウンド・オブ・メタル』はコミュニケーションや言語についての映画であると言うことが興味深い。そして、難聴になった葛藤に苦しめられるルーベンが平穏を取り戻すのも「心の中の静寂」を見つけた時、つまり自分とのコミュニケーションを図れた時なのであった。