『隔たる世界の二人』を観た

 Netflixオリジナルで配信中の『隔たる世界の二人』を観た。黒人青年が警察官に言いがかりで殺されてしまう朝を永遠にループしてしまうショートSFで、アカデミー賞にノミネートされている。粗筋から分かる通り、昨年世界中で展開されたBLM運動をモチーフにしている。

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 僕がBLMを題材にしたスケッチを作った時、ネットを通じて知り合った黒人の学生に脚本を添削してもらっていた。脚本の初稿を渡した時に、彼には「このレベルのものだったら世に出すべきではない」と厳しく言われた。僕はBLM運動が盛り上がっている今だからこそ、このスケッチを作るべきだと主張したけれど、彼に「BLMは今盛り上がっているけど、黒人に対する不当な暴力はずっと前からそこに存在していた。だから流行りに便乗するだけのつもりなら、差別の本質を伝えるスケッチを撮らない限り作るべきではない」と言われてハッとして、自分の浅はかさを心底反省した。でも、彼のお陰でより洗練された脚本が仕上がったと思うし、結果として全員が満足いくものができた上、黒人への差別問題を啓発する良質なスケッチができたと自負している。

 

 

 『隔たる世界の二人』の短編としての巧みさは、まさにこの警察による暴力を永遠に続くタイムループもののジャンルに落とし込んだことだと思う。この映画が作られたことにはBLMの影響はもちろんあるが、理不尽な暴力や差別はずっとアメリカに存在し続けていた問題であり、ループのように終わらない地獄なのだ。後半、主人公が銃で撃たれた際にできる血痕がアフリカ大陸の形を作るのが、その残酷な歴史の長さを物語る。

 

 一方で、映画作品の技巧的な欠点としては、テーマを語りすぎているところはある。僕は言葉や文字に頼らない演出を好むが、本作はただでさえ設定上テーマが伝わりやすいのに、劇中でジョージ・フロイドやブリアナ・テイラーの名前をグラフィティとして堂々と出すのは、いささかテーマを強調しすぎているような気がして、正直ノイズになってしまった。

 

 ただ、エンディングで圧倒されるのは、ここ数年警察の不当な暴力により犠牲となった「ほんの一部」の黒人たちの名前が、あまりにも多く映し出されることだ。ジョージ・フロイド事件から1年経った今年ももう既に何件か似た事件が起きている。全く変わる気がしないこの地獄なようなシステムから抜け出すためには、画面の背景に犠牲者の名前を出すくらいでは実は強調がまだまだ足りないくらいなのかもしれない。