「俺たち」という表現の問題について考える/『ミッチェル家とマシンの反乱』★★☆

 ソニー・ピクチャーズ アニメーション制作のアニメーション『ミッチェル家とマシンの反乱』をNetflixにて鑑賞。監督・脚本はこれが長編デビュー作となるマイク・リアンダ、製作は『21ジャンプストリート』『LEGO®︎ムービー』『スパイダーマン:スパイダーバース』のフィル・ロード&クリス・ミラーコンビ。声の出演は アビ・ジェイコブソン、ダニー・マクブライド、マーヤ・ルドルフ、マイク・リアンダ、エリック・アンドレオリヴィア・コールマン、ブルックリンネッツのブレイク・グリフィン(!?)ら。

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 素晴らしい。フィル・ロードクリストファー・ミラー印のハイテンションでスラップスティックなギャグの応酬と彩色豊かな画作りに、本作が劇場で公開されなかったことを残念に思ってしまった。特に『スパイダーマン:スパイダーバース』で見られたように、本作でも革新的なアニメ的表現に挑んでいるからなおさら。コロナがなく予定通り昨年劇場で公開されていれば、アカデミー賞長編アニメーション賞ノミネートも射程圏内だったろう。

 

 ただし、『ミッチェル家とマシンの反乱』においてロード&ミラーはあくまで裏方であり、本作は監督マイク・リアンダの非常にパーソナルな作品だ。「ミッチェル家」は彼の「クレイジーな」家族をモデルにしているそうで、主人公のケイティ*1も弟のアーロンも、監督自身のペルソナが反映されているという。(アーロンに至っては監督本人が声を当てている)家族とロボット侵攻と映画の数々-つまりマイク・リアンダの大好きなものを詰め込んでできた作品が『ミッチェル家とマシンの反乱』なのだ。

 

 また、劇中でケイティは父親のリックと仲違いをしているが、これは監督自身がティーネイジャーだった頃の父親との関係を参考にしたのだという。そして、それは多くの人が思春期の頃に経験したことだろう。僕なんかはいまだに映像作っているし、父親と仲が悪いので、ついつい他人事とは思えなかった。だからこそマイク・リアンダのパーソナルな作品となった一方で、等身大な家族を描いたために、ロボットとの全面戦争という突拍子もない設定にも関わらず幅広い共感を呼んだのだろう。

 

 一方で、監督の経験に則していない部分で、僕が非常に感心した点が一つある。それは主人公のケイティがLGBTのキャラクターであり、なおかつそのこと自体は一切ストーリーの根幹に関わるわけでもなく、殊更声高に取り上げていないことだ。つまり、ケイティがLGBTのキャラクターであることはもはや「当たり前」の存在として描かれている。この点に僕はアメリカン・コメディやアニメーションという最も先進性的なジャンルに惚れ惚れしてしまうのだ。

 

 最後に、話題がちょっと逸れてしまうが、関連してネット上で本作が「俺たちの映画だ」と一部で散見されていた点についてはちょっと思うところを述べておきたい。自戒の意を込めて書くのだけれども、『ミッチェル家とマシンの反乱』は主人公が映画オタクである上、数々の映画オタクオマージュに溢れている映画でもあるので、「(映画オタクである)俺たちの映画である」と喜びたくなる気持ちも分からなくはない。というか、ちょっと前の僕も言っていただろう。

 

 一方で、やはり気になってしまうのは、日本語特有の「俺たち」という自称の男性限定性である。先述したように、本作の主人公はLGBTである。冒頭で自分に合う洋服に悩むケイティーが生きる上でのアイデンティティを模索している模様を暗に示している。本作でずっとケイティは虹模様のピンバッチをつけているし、日本語字幕では反映されていなかったけれど、エンディングでお母さんは「ジェイドとはもう付き合ってるの?」と平然と聞く。つまり、これはセクシャル・マイノリティだったケイティがアイデンティティを確立するまでの物語でもあるのだ。

 

 それを一色単に男性性の強い「俺たち*2」という言葉で括ってしまうのはどうなのだろう、と僕は考えてしまったのだ。特に、近年『映画秘宝』的なホモソーシャルなカルチャーが問題視されてきたことももちろん影響している。一方で、そんな言葉狩りみたいなことをして、素直に楽しんでいる人たちの気持ちに水を差すのもどうなのだろう、という思いもある。映画評を一つ読むのにも、難しい時代になりましたね。

 

 まあ、あれだ、そんな頭を悩ませなくたって、本作が傑作であることは間違い無いですよ!

 

スパイダーマン:スパイダーバース (字幕版)

スパイダーマン:スパイダーバース (字幕版)

  • 発売日: 2019/05/13
  • メディア: Prime Video
 

 

*1:5/24 追記 コメント欄でご指摘いただきましたが、主人公の名前を誤ってずっとアビーと書いていたので、ケイティに修正いたしました。すみません!

*2:細かい話だが、「俺たちの映画」と「俺の映画」というのはちょっとニュアンスが違うと思っており、「俺の映画」は本作を鑑賞した男性が自分の共感を示している分にはいいんじゃないかとは思う。全くもって僕個人の最良の問題なのだけれども…