幼児退行であり文化的退廃/『ゴーストバスターズ/アフターライフ』☆☆☆

 新宿TOHOシネマズTCXにて(わざわざ高い金払って)人気SFコメディ大作の続編『ゴーストバスターズ/アフターライフ』を鑑賞。監督&脚本はオリジナル版を監督したアイヴァン・ライトマンの息子ジェイソン・ライトマン、制作にそのアイヴァン・ライトマンが参加。出演にキャリー・クーン、フィン・ウルフハード、マッケナ・グレイス、ポール・ラッドら。

 

※全面的にネタバレかつ徹底的に批判しています。ご注意ください。

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 怒りでキーボードを叩く指が震えている。たかが映画を見てここまでキレたのは『フォースの覚醒』以来かもしれない*1ソニーが野心的だった2016年版『ゴーストバスターズ』を「無かったこと」にしてまで作りたかったのが、こんなノスタルジアポルノだったなんて、情けなくて涙さえ出てくる。

 

 ただ、本作を絶賛するファンや僕のとは異なる歓喜の涙を流すファンが少なくないのも分かる。何故なら本作はファンを徹底的に心地良くするために専念し、画面の隅々までファンサービスに富んだ作品だからだ。これは先述した女性リブート版『ゴーストバスターズ』がうるさ型ファンに叩かれて社会現象になるまで炎上したことを経たソニーの反省の結果だろう。ファンの郷愁を喚起させるアイコンが出てくるたびに、ゆっくりじっくりネットリとカメラが寄り、映画のテンポを殺してまでファンを喜ばせようとする。

 

 ただ、何も『ゴーストバスターズ』に限った話ではなく、最近では『スター・ウォーズ』もアメコミヒーロー映画もノスタルジアに重きを置いた作品は多く、これはつまりSNS文化の隆盛も相まって製作陣が無視できないほどにファンの声というものが大きくなってきたということだ。しかしながら本作の郷愁依存が更に異常なのは、コメディというシリーズのジャンルを犠牲にしてまで「エモさ」に力を入れていたことだ。

 

 振り返ってみてほしいが、そもそもオリジナルの『ゴーストバスターズ』は80年代らしいレーガノミクス*2な能天気さがウリなコメディ映画だったはずだ。『SNL』出身のコメディアンたちで固めたキャスト陣の持ち前のギャグセンスが面白かったわけで、そういう意味ではポール・フェイグ版も「男女逆転」というコンセプトだけが取り沙汰されているが、当代一流の女性コメディアン達を集めて観客を笑わせにかかっていたのは正攻法だったと言える。

 

 が、本作はこれまでのシリーズと比べるとギャグの量は圧倒的に少なく、湿り気の強いシリアスシーンばかりであり、スピルバーグやアンブリン作品を意識した画作りも強まってまるで『ストレンジャー・シングス』のような80sエクスプロイテーション映画に見える。言い換えると、コメディとしての『ゴーストバスターズ』続編を作るのではなく、あの頃(80年代)への懐古に執着していることが『ゴーストバスターズ/アフターライフ』の最大の問題点とも言える。

 

 僕が本作でグロテスクだと感じたのは、主人公たちを少年・少女たちに置き換えていることだ。つまり、1984年当時子どもだった大人たちが、今一度「子供に戻った」気分になれる作品になっていることだ。何度も書いているように、それは郷愁によってファンを心地よくさせることに専念した結果だろうが、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』で批判的に描いていたことをまさに再現しているようなものだ。

 

 そしてファンが作品への愛を盾に幼児退行していった結果、残酷なまでに攻撃的になる例を2016年に、そして2017年に『最後のジェダイ』で我々は目撃してきた訳で、公式側がそれを肯定するような作りにしてしまったのは到底許せるものではない。

 

 話は大きく飛ぶが、『サウスパーク』のシーズン20では全話に渡って「ナツカシベリー(Member Berries)」というブドウが登場した。ナツカシベリーは「トーントーンって覚えてる?昔の『スター・ウォーズ』は良かったよねえ〜」「『ゴーストバスターズ』って覚えてる?スライム良かったよねえ〜」と大人たちに囁き続け、過去の郷愁に浸ることの気持ち良さを味わわせる。大人たちがナツカシベリーに中毒になってきた頃、「昔のアメリカって覚えてる?移民もいない良い時代だったよね〜」と危険な排斥思想を吹き込むのだ。

 

 シーズン20が放送されたのは2016年で、昨年末に『フォースの覚醒』が公開されて『スター・ウォーズ』が再始動し、まさに『ゴーストバスターズ』のリブートが公開され、そしてドナルド・トランプが選挙で勝った年だった。ポップカルチャーに蔓延る懐古主義を危険な保守回帰思想と一早く結び付けたトレイ・パーカーとマット・ストーンの先見の明には驚かされるばかりだが、『ゴーストバスターズ/アフターライフ』の根底に流れる精神はこれと一緒だ。本作は「あの頃は良かった」とMAGA帽子を被りながらアメリカ国旗を振るのと何が違うのか。これを文化的退廃と言わずしてなんと言おう。

 

 ことさら腹立たしいのは、よほど2016年版の炎上が応えたのか、ソニーが続編としての正当性を担保しようと躍起になっているところだ。本作をジェイソン・ライトマンが監督していることが代表例で、ウェルメイドなドラメディを得意とするジェイソン・ライトマンの作風や才能は父アイヴァンとは異なるので、本作に(詳細は知らないが、仮に例えジェイソンが立てた企画だったとしても)ソニーがそもそも彼を起用したのは采配ミスとしか言いようがないし、「オリジナルクリエイターの血統を継ぐ者だから真の続編である」と主張したい以外の理由が見つからない。彼のファンとしても非常に残念でならない。

 

 もう一つ最大に許せないのは、最後の最後で亡きハロルド・ライミスをおぞましい技術で登場させたことだ。皮肉にも幽霊としての登場となったが、本作を「血統の継承者」であることを証明するためにライミスを登場させたことは卑怯であり、死者への最大限の冒涜だ。遺族や関係者が許せば良いという問題ではないし、単純に演出としても工夫が一切ない。これは近年『スター・ウォーズ』やMCU*3でも見られてきた危険な流行だが、僕は亡きクリエイターをCGで再生する技術に対して改めて強く抗議しておく。国際法で一律禁止にしてほしいくらいだ。

 

 ここまで本作をとことん批判してきたが、最後に良かった点を一つだけ述べる。唯一の(機能していた)コメディリリーフであったポール・ラッドがいてくれたことだけが救いだった。全ての笑えるシーンは彼が出ているところで、逆に言えばポールが出ていないシーンは押し並べて退屈で、イースターエッグに時間を割くことのみに集中していた醜悪な作品だった。"Who you're gonna call?"の使い方とか本当にダサかったね!

*1:「『最後のジェダイ』や『スカイウォーカーの夜明け』は?」と聞かれそうだが、あの辺はもはや諦めの境地というか呆れの感情の方が強かった。あ、でもそういえば今思い出したけど、『ハン・ソロ』にも結構キレたな!

 

*2:本作でもわざわざセリフに出てきましたね。ぺッ!

*3:MCUで亡くなった役者をCG技術で出した例はまだないが、若返り技術の多用などその土壌は整っているので、先手を打って警鐘を鳴らしておきたい。『ボバ・フェット』に第六話に登場した「あの人」も同じ意味で僕は許せない。