『ボバ・フェット/The Book Of Boba Fett』が終わったが!

 本当になんだったんですかね、このシリーズ…。『マンダロリアン』S2の最終回を見てYouTubeの配信などで僕は「評判高かったドラマシリーズもちょっとノスタルジアに頼り始めて*1暗雲が垂れ込んできたな…」と言ってきたが、本当にその通りになってしまった。つまり『ボバ・フェット』もほとんどが過去作品の再生産で、一方で新しい試みは全然ハマらなかったという、シークエルと同じ穴にハマっていた。『マンダロリアン』(の少なくともS1)って世界観だけ借りて新しい物語を紡いでいたから面白かったのに…。

 

 だって、最初の二話はだいぶ良かったのに、第三話あたりからちょっと怪しくなってSNS上でも批判が目立ち始めたと思うけど、評判が一気に持ち直した第五話・第六話が『マンダロリアン』の続編みたいな内容で肝心のボバ・フェットが出てこない話って、考えて見れば見るほどヤバい。流石に最終話のバトルはクライマックスとあって多少は面白かったけど、人を集めたのはディン・ジャリン、作戦を立案したのはフェネックって、ボバ・フェットってこのシリーズほとんどバクタタンクで寝てただけじゃん!ボバが宮殿で敵を待ち構えようとしたら、どこぞの馬の骨かもわからないバイカー集団に反対されて渋々意見を飲んで逃げ場のない廃墟で待ち伏せしてたのもアホらしかったな。

 

 究極、『ボバ・フェット/The Book of Boba Fett』の問題点は、狡猾で冷酷な殺し屋であったボバ・フェットを「人のいいおじさん」にしてしまったキャラクター解釈が大幅にずれていたことにある。ボバはやたらと「この町は俺が守る」って息巻いていたけど、別にそれまで人民と交流する場面もなかったのに、なんでこんな銀河系の辺境の町にこだわりがあるのか、よく分からなかったよね。

 

 それと今シリーズはロバート・ロドリゲスへの非難の声が集まっていたけど、僕はジョン・ファヴローとデイヴ・フィローニの責任も結構大きいと思う。彼らもエグゼクティブ・プロデューサーとして名を連ねており、ドラマのEPって映画のEPと違って執筆面や創作面にかなり深く関わってくる*2し、実際脚本書いているのはファブローだし、ドラマシリーズの構造をしっかり考えられなかった彼らの責任は大きい。

 

 ところで、最大の疑問だったんだけど、結局『The Book Of Boba Fett』ってどういう意味だったんだろう?この場合のBookって「物語」?もしかして町を管理する上での「帳簿」だったりして。というわけで、僕は『オビ=ワン・ケノービ』にも今の所は不安しかありません。

 

 

*1:今度このブログで書こうと思って今リサーチしている段階ですが、やっぱり僕はあのルークと今回のルークは倫理的に絶対に許せないですね。

*2:補足しておくと、映画のEPはその強力なコネを使って人材を集めたり、資金を集めたりプロデューサーが作る予算に許可出したり、作品への最終的な出来にGOサインを出す役割。一方で、ドラマのEPはライター陣と共にドラマ一話一話を作り上げてシリーズ全体を構築した上で色々と制作準備するイメージ。