どこまでも「映画的」/『ウエスト・サイド・ストーリー』★★★

 1961年の名作ミュージカル『ウエスト・サイド物語』をリメイクした『ウエスト・サイド・ストーリー』を鑑賞。監督は巨匠スティーブン・スピルバーグ、脚本は『ミュンヘン』『リンカーン』のトニー・クーシュナー、撮影はヤヌス・カミンスキー。主演はアンセル・エルゴートとレイチェル・ゼグラー、共演にアリアナ・デボーズ、デヴィッド・アルヴァレス、マイク・フェイスト、そしてオリジナル版でアニータを演じたリタ・モレノら。

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 度肝を抜いた。1シーン・1カット・1フレーム全てが煌びやかで眩しく、全ての役者のアクションも凄まじい活力で、「アメリカ」のミュージカルシーンではその弾けるような躍動感で思わず号泣してしまった。両目が喜びを訴えるような恍惚を『ウエスト・サイド・ストーリー』で味わうことができる。

 

 スピルバーグ初のミュージカル映画だとは思えない演出力だが、逆にいうと映画を知り尽くしたスピルバーグだからこそ、ミュージカルもそつなくこなせたとも言える。1961年版は舞台を意識した平面的な画作りや外連味のある照明・カラリングが特徴的であったが、スピルバーグは映画的な「画作り」というものを徹底している。ロングテイクから始まる冒頭から、非常階段を使って縦の動きを取り入れた「トゥナイト」など、映像が常に立体的であり、映画ならではの臨場感を作り上げている。

 

 僕が白眉だと思ったのは、トニーとマリアがダンスパーティーで初めて出会う場面。同シーンは61年版ではチルトシフト風*1に2人の周囲を恣意的にボカしたり、照明を落としてスポットライト当てることで二人の世界を演出していた。

 

 一方で、今作ではカメラが切り返す二人の前景に激しく踊るダンサーたちを配置することで、ブレがなくクッキリと映る二人だけがお互いの存在に気づく。そしてその後2人は移動して観客席の後ろに回り込むことで物理的に2人だけの世界を作り出したばかりか、隙間から見える眩い照明光がロマンティックを盛り上げる。全く同じシーンを取り扱うにしても、スピルバーグはどこまでも映画的な解釈で演出する。

 

 他のスピルバーグ映画よろしく、撮影のヤヌス・カミングスキーから編集のマイケル・カーンまで製作陣は長年一緒にやってきた布陣であり、映画のバイオリズムを呼吸のような生理現象として容易く理解している巨匠たちの熟練のテクニックを堪能できる。所々、光と影の照明とアクションの演出に幼少期からVHSで見てきたスピルバーグ作品を想起させる場面が脳に喜びを与える。卑近な例で恐縮だが、老舗料理亭の蕎麦くらい安心感がある。

 

 また、スピルバーグ自身も言っていることだが、テーマ的にもミュージカルが舞台で初演された1957年当時よりも、社会に分断が蔓延る現代の方がより身に迫るものがあり、まさに今リメイクされて然るべき傑作だった。ジェントリフィケーションにより迫害されるマイノリティや貧困層の要素を付け足していたのも良い脚色だったが、逆にいうと1950年代末から変わっていないアメリカの姿も浮かび上がってきて恐ろしい。

 

 もうどこからどこをとっても褒める部分しか思い浮かばないが、唯一にして最大の欠点がアンセル・エルゴート。僕は作品と人は切り離すべきだと常々思っていたが、ピュアなラブストーリーである分、彼の問題がどうしても鑑賞中に脳をよぎってしまう。「作品と人」の問題は、僕が思っていたよりも単純に切り離せるものではなかった。

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*1:多分チルトシフトレンズは使わずに編集でやったのだと思うのだけれど、当時の編集技術でどうやったのか非常に気になる。

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