何がどうしてこうなった/『モービウス』★☆☆

 ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース(SSU)作品第三弾『モービウス』を鑑賞。監督は『ライフ(2017)』のダニエル・エスピノーサ、脚本はマット・サザマ、バーク・シャープレス、制作にアヴィ・アラドら。主演はジャレッド・レト、共演にマット・スミス、アドリア・アルホナジャレッド・ハリス、アル・マドリガル、タイリース・ギブソンら。

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 まずは本作の良かったところから話そう。エンドクレジットのタイトルデザインがチカチカしてサイケデリックで楽しかった。アメリカの観客などはハッパ吸いながら見たらさぞかしハイになれただろうな。以上。

 

 奇しくも同じ蝙蝠がキーである『ザ・バットマン』とは全く別の意味で画が暗い、話が暗い、キャラが暗い。100分程度しか尺がないのにテンポは鈍重、ジョークはつまらず、同じロケーションを行き来してばかりで、突っ立って会話しているだけのシーンが多すぎる。アクション演出は一辺倒で、クライマックスもあっさりで、肝心の「サプライズ」もプロモーションでバカみたいに使い回して台無し。

 

 強いていうなら、マイケルとマイロのブロマンスな関係性が良かったが、その他は何をどう楽しんで良いのか苦しむ。そのマイケルとマイロの因果関係も全くクライマックスの戦いに活かせていなかったし…。『モービウス』はジャレッド・レトが自ら製作総指揮に名を連ね、自身のバンド「サーティー・セカンズ・トゥー・マーズ」のツアー中に合間を縫って監督選びまで積極的に参加した作品なのに、この出来で良かったのか…。

 

 最近MCUに飽きてきてしまって文句ばかり垂れてきたが、『モービウス』のポストクレジットシーンがお粗末な本編をファンサービスで何とかするだけの極めて商業的な映像にしかなっておらず下品であり、如何にMCUが非常に高い次元で緻密な世界観を構築してフランチャイズを計画立てているか、改めてよくわかった。

 

 ディズニー=マーベルは今や業界のスタンダードとなり、ワーナー=DCはそれに対抗して独自路線で個性を出している一方で、ソニーのマーベル映画は90年代からゼロ年代初頭にかけてのステレオティピカルな「アメコミ」映画を雑に生産している。ただ、『ヴェノム』は製作者もファンも予想だにしなかった化学反応が生まれた不思議な魅力な作品となり、その妙味を研究し再現を試みたのが『ヴェノム/レット・ゼア・ビー・カーネイジ』であった。『モービウス』が一番辛いのは、こうした化学反応が全くなく、ただただひたすらに虚無であることだ。

 

 感動的だった『スパイダーマン/ノー・ウェイ・ホーム』が開いたマルチヴァースの扉の先に、無計画で退屈なソニーのスパイダーヴァースが待っていると思うとやるせない気持ちになる。いっそ一旦開けた扉を閉めて鍵をかけ、とりあえず『アメイジングスパイダーマン3』を作ることから始めてみては?