今日久々にTwitterスペースを開いて、自分で話したことの覚え書き。ここ数年、映画の尺がやたらと長い。バットマンの最新作でさえ3時間くらいある。上映前は寝ないようにコーヒーを飲み、上映後は満足感よりもカフェインの利尿作用によりパンパンになった膀胱をトイレで解放できる安堵感の方が強い。
この傾向は明らかにコロナ禍以後の映画で増えて気がする。仮に2021年に日本で公開された主要なハリウッド映画を尺付きで並べてみると…
- 『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』97分
- 『ジャングル・クルーズ』127分
- 『キングスマン:ファースト・エージェント』131分
- 『ザ・スーサイド・スクワッド/"極"悪党、集結』132分
- 『シャン・チー』132分
- 『ブラック・ウィドウ』133分
- 『クルエラ』134分
- 『イン・ザ・ハイツ』143分
- 『マトリックス/レザレクションズ』148分
- 『ワイルド・スピード/JET BREAK』148分
- 『最後の決闘裁判』152分
- 『DUNE/デューン 砂の惑星』155分
- 『エターナルズ』156分
- 『007/ダイ・アナザー・デイ』163分
どれもこれも映画の内容よりも尿意や睡魔との戦いとの記憶の方が鮮明に覚えているが、それにしたって長い。本国だったら『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』148分、『ウェスト・サイド・ストーリー』156分もあるので、大体2時間半の尺を持つ映画が目立った。
では、これをコロナが始まる前の2019年はどうだったかというと…
- 『名探偵ピカチュウ』97分
- 『X-MEN:ダーク・フェニックス』120分
- 『ジョーカー』122分
- 『キャプテン・マーベル』124分
- 『ナイブズ・アウト』130分
- 『ジョン・ウィック:パラベラム』131分
- 『シャザム!』132分
- 『ワイルド・スピード/スーパー・コンボ』133分
- 『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』142分
- 『ドクター・スリープ』152分
- 『IT/イット THE END "それ"が見えたら、終わり。』169分
- 『アベンジャーズ:エンドゲーム』181分
この頃も長い映画はあり、『SW』とMCUという2大イベントが一区切りを迎えていたので長尺にはなっているし、全ての映画を比較しているわけではないのだが、ザッと見た感じでは150分を超える映画はそこまで多くなく、平均的に130分台が多い印象だ。象徴的なのは同じ『ワイルド・スピード』シリーズでも2年の間で15分も尺が伸びていることだ。
で、どうしてコロナを基準にしたかというと、まさにそこが映画産業の分かれ目で、巣篭もり需要の高まりでYouTube、TikTok、Netflix、ディズニー+など家に気軽に安価で見れるサービスが隆盛を極め、感染するリスクに身を晒してまで劇場にわざわざ足を運んでみる映画興行が圧倒的に不利になってしまったからだ。
事実、2019年はディズニー映画が絶好調ということもあって、全世界の映画興行収入は425億ドルと史上最高値を記録していた一方で、そのわずか2年後の全世界の興行収入は216億ドルまで落ち込んだ。しかも、そのうち10億ドルは現在も公開中の『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』であり、今まで以上にMCUへの一極集中が起きている。
で、これがどうして映画の長尺化に繋がっているかというと、僕は劇映画がイベント化されてしまっているのではないかと思うのだ。これは歴史上初めてのことではなく、テレビが一般家庭に普及した50年代後半から60年代に起きた。家庭で手軽にエンタメを消費することを可能にしたテレビは映画興行の大きな脅威となり、各映画スタジオは対抗するためにとにかく予算をかけてエピックな超大作を作った。当時の代表作を同じように尺と一緒に並べてみるだけでも…
- 『ベン・ハー』1959年、212分
- 『スパルタカスの反乱』1960年、197分
- 『クレオパトラ』1961年、251分
- 『ナヴァロンの要塞』1961年、158分
- 『アラビアのロレンス』1962年、227分
- 『ドクトル・ジバゴ』1966年、193分
もちろん、ここに載せているのは極端な例だが、それにしたって毎年200分台の映画が作られているのは凄まじい。長尺の印象な『2001年宇宙の旅(1968)』だって142分なので、可愛く見えてくる。トイレはどうしていたんだ…と思うかもしれないが、当時はロードショー形式の上映で、ほとんどの長尺映画には演劇みたいに途中でインターミッション休憩があったので、現代の映画よりは良心的と言える。
で、テレビの代わりにスマホが映画の脅威となり、全く同じことが2020年代に繰り返されている。観客を小さいスクリーンから取り戻すために、必然的に映画産業は今まで以上に大金を投資して大作化し、イベント化することで生き残りを図ろうとしているのではないだろうか。『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の全世界規模の盛り上がり方は「イベント」という言葉がこれ以上なく相応しい。
ただ、不気味なのは世相までそっくりなことだ。60年代はベトナム戦争が泥沼化し、公民権運動で人種差別へのデモがあちこちで起きた。そんな暗い世相の中で若者は絵空事ばかり描かれているハリウッド映画への興味を失い、メジャーな映画産業を破産に追いやった。コロナ、BLM、ウクライナ侵攻と暗い話題ばかり続く2020年代も映画興行は大きく苦しんでいる。
一方で、60年代にメジャースタジオが潰れた中で生まれたのがアメリカンニューシネマであり、いろんな実験的手法が映画に導入され、映画史の中で若き映画作家たちが最も輝いた時代でもあった。ストリーミング戦国時代と呼ばれる現代では、各配信サービスが魅力的なコンテンツを増やそうと各国の映画やテレビ番組の争奪戦をおこなっている。こうした動きの中で、野心的な若い映画作家や表現が生まれてくるかもしれない。
しかし、ハリウッドが70年代に持ち直したように、伝統的な劇場映画からこうした新しい映画作家が生まれるかは甚だ疑問ではある。なにより、こうした配信サービスは結局ディズニーやワーナーなど、大資本のメジャーが運営しているのがちょっと気に入らないが、これからの映画はどうなるんだろう。話が大きく逸れてしまったが、とにかく映画は短くなってほしい、後生だから!