スーパーヒーロー映画なのにキャラ描写がおざなり/『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』★★☆

 MCU最新作『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』を鑑賞。前作を監督したスコット・デリクソンは続投を降板して制作総指揮に回り、ピンチヒッターに立ったのはサム・ライミ。脚本は『ロキ』のマイケル・ウォルドロン、音楽はダニー・エルフマン。主演はベネディクト・カンバーバッチ、共演にエリザベス・オルセンキウェテル・イジョフォーベネディクト・ウォンソーチー・ゴメス、マイケル・スタールバーグレイチェル・マクアダムスら。

※本作のサプライズについて、ネタバレしています

 

 『アベンジャーズ/エンドゲーム』で一種の大団円を迎えてしまったので、シリーズを拡張すべくケヴィン・ファイギが取ったウルトラCマルチバースであった。ドラマシリーズの『ロキ』やアニメ『ホワット・イフ…?』で鍵を開けたマルチバースの扉は、『スパイダーマン/ノー・ウェイ・ホーム』でこじ開けられて、本作では全開で解放される。

 

 が、これは現在のところフェーズIVの欠点でもあると思うのだが、マルチバースやTVA、セレスティアルズなどやたらめったら壮大なスケールばかりが導入されて、設定の説明や世界観の拡充にばかり執着してしまっているのが悪目立ちしている。MCU世界で起きる時系列を管理している時間変異取締局、全てのマルチバースを監視しているというウォッチャー、この世を創造したというセレスティアルズ、そして『ムーンナイト』に登場するエジプトの神々など…あまりにもスケールの大きい存在たちがどう矛盾なく共存しているのか、考えるだけでも厄介だ。

 

 もちろん、辻褄の合う設定は考えられているだろうし、アメコミファンからは「そんなことも理解できないのか」と鼻で笑われそうだが、僕としては同じような超越的な存在が短いスパンで登場しすぎていることを作劇上問題視したい。

 

 『ドクター・ストレンジ/MoM』に話を戻すと、本作もマルチバースという大仕掛けに挑むために、あれやこれやと設定や世界観ばかり丁寧に描いており、その分キャラクター描写がおざなりになっていまっている印象を受ける。例えば、本作で初登場となるアメリカ・チャベスは、演じるソーチー・ゴメスの魅力も相まってチャーミングなキャラクターではあるだけに、ストレンジと関係性を構築していく描写が淡白だったのは非常に勿体無い。

 

 サプライズ的に登場した、異世界でのイルミナティも同様で、ファンが息を呑むことを目的としてミスター・ファンタスティックやプロフェッサーXも連れてきた癖に、あっさりと退場させてしまう。あれだけ警戒していた割にすぐにストレンジを信用するのは強引な展開だったし、勿体ぶってサプライズキャラを登場させてすぐ退場させるのは『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』でも見られた演出だったので、あまりにも芸がないのではないか。

 

 そして、個人的に非常に残念だったのはワンダの描き方で、原作通りだったとしても『ワンダビジョン』を経てまだ幻想の子供のためにヴィラン化してしまうのは短絡的で、可哀想に思えてしまう。そしてワンダは最後自身を犠牲にするわけだが、その描写もアッサリしていて、エンドクレジット後に流石に何かあるだろうと思ったら、どこの誰なのか知りもしないシャーリーズ・セロンブルース・キャンベルのギャグに割かれてしまっていた。

 

 これでは『エイジ・オブ・ウルトロン』から7年(!?)MCUに花を添えてくれたワンダというキャラクターに対して、流石に冷たすぎる気がした。仮にのちに復活するにしても、スーパーヒーロー映画としてキャラをおざなりにするのは本末転倒なのでは?

 

 が、マルチバースという拡張し続ける世界に手を出しても、本作がバラバラにならずになんとか踏ん張れたのは、偏にサム・ライミの作家性がなんとか繋ぎ止めたからだと思う。特に筆者は直前に『死霊のはらわた』と『死霊のはらわた II』を予習していたので、本作でのサム・ライミ印の演出は多いに楽しめたのであった。だが、強烈なサム・ライミの個性すらMCUの1ピースに組み込まれてしまうのは、なんと恐ろしいことだろうか。

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