「映像制作の万屋」
これは現在僕がフリーランスとして配っている名刺に書いている肩書きである。事実として、僕の仕事はほとんどプロダクション・コーディネーター時代のコネから生まれているため、TVにもCMにも映画にもWEBメディアにも色んな現場に呼ばれている。映像業界ではあまりジャンルを跨ぐことはないらしいので、結構珍しがられる。
ただ、「映像制作の万屋」は僕の「自信の無さ」の表れでもある。いつも現場に入った初日、「普段何をしているんですか?」と聞かれるたびに僕は「何でもやってます」と濁して答える。本当は「監督をやっています」と答えたい気持ちをグッと押し殺している。
実際、監督経験が少ないから仕方がない。現場の場数をこなしているプロの前で監督を名乗るのは恐れ多いし、TikTokやYouTubeをやっているなんて間違っても恥ずかしくて言えない。僕は映像系の大学も専門学校も通っていないので、専門教育を受けた人たちと比べると知識も浅い。僕はキャリアプランを立てずに人生を歩んできてしまったので、そういった学校を卒業した人に対してはコンプレックスも覚える。
だから必然的に制作(プロダクション・アシスタント)の仕事依頼が多く、昨年からはようやく助監督の仕事を始められた。大体、日本の現場において「アシスタント」と名の付く役職に人権は無い。睡眠時間が削られようが、食事をする暇が無かろうが、ある意味それは当然のことであると僕も受け入れてしまっていた部分があると思う。
このブログを読んでいた方ならご存知だろうが、僕は先週いっぱい地方へ短編映画の撮影に助監督として参加してきた。正直に自分の仕事っぷりを10段階で評価するならば、1か2くらいだろう。経験不足からくる段取りの悪さや理解の遅さで現場の動きを鈍くしてしまったし、我ながら酷かったと思う。また、自分は不器用な上にパニックになりやすいので、苛立ちを覚える人は多かったろう。
現場に参加した人たちの名誉のために言っておくと、各スタッフはいい人たちばかりだったとは思う。が、やはり段取りの悪さを指摘され、怒鳴られたり、年下の人間に陰で馬鹿にされているのを聞くと、自信と尊厳が傷つけられていく。連日寝不足だったこともあり、明らかにまともな精神状態ではなく、ある晩は制作部が弁当ガラのゴミ捨てを用意していなかった事に気づき、それについて他のスタッフから責められる妄想をしてしまって逃げるように晩飯を抜いたほどだった。
ところで、この現場には低予算とは思えないほど大スターの役者が出ていた。その役者は昭和気質の人で、厳しいけれどよく言えば愛情がある人ではあった。ある日、その役者に怒られたかと思えば、そのあとで「お前さんは声が出ていいな!」と褒められた。鈍臭い僕には持ち前の大声しか武器がなく、意図的に声は張っていてそこを褒められたのは嬉しいと言えば嬉しかったけれど、ここで僕は目が覚めた。いったい僕は何をしているんだろうと。
その役者さんはドジだけどやる気のある新人助監督を激励するつもりで誉めてくれたのかもしれないが、僕はもう30歳だ。アシスタントとかやってミスして怒られる時期はとっくのとうに過ぎている。古き良き徒弟制度に乗っかって、助監督経験を積んで監督デビューができた時、僕は何歳になっているだろう。いや、デビューができれば運がいい方で、僕のメンタルの弱さだったらキツさに根負けして映像業界を諦めているのが関の山だろう。
こんな若造みたいな真似事をしている場合では無いのだ。僕は好きな映像作りで食っていくために、フリーランスになったはずなのだ。最近、僕は仕事をするたびに肉体的にも精神的にもキツい現場の悪口をこぼしているが、このままでは愛していたはずの映画そのものが嫌いになってしまう。
僕が映像業界で働き初めて5年、フリーランスになって2年。その程度で音を上げているようでは根性がない、と思われる方もいるだろう。だが、僕には徒弟制度にかまっている暇はない。人生100年時代というかもしれないが、その100年のうち最大限の時間を怒られるのではなく、クリエイティブに過ごしたい。
プロダクション・アシスタントだろうと、アシスタント・ディレクターだろうと、僕は今年をもってあらゆるアシスタント職を卒業することを宣言する。僕は今年から「監督」を名乗るし、監督業しかやらない。昨日告知したMVでちょうど監督として初めてギャラを得たばかりだし、タイミングも良いだろう。これまで参加した数々の現場で、僕を下に見ていた人間全員を見返すために、全力を注ぐことをここに宣言するので、これまで僕の活動を応援されてくださった皆様につきましては改めて暖かく見守っていただければと思います。
なお、ポートフォリオサイトも順次充実させていく予定なので、もし僕に仕事をご依頼されたい方いたら、いつでも遠慮なくご相談いただければと思います。