「設定病」という現代ハリウッドの病/『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』★★☆

 シリーズ最新作にして完結編『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』を鑑賞。監督はコリン・トレヴォロウ、トレヴォロウは相棒のデレク・コノリーと共に原案・脚本も担当。製作にフランク・マーシャル、音楽はマイケル・ジアッキーノ。出演者は前作同様クリス・プラットブライス・ダラス・ハワード他、旧三部作からはサム・ニールローラ・ダーンジェフ・ゴールドブラムらが共演。

 現代ハリウッド映画を覆う病として「設定病」があると思う。例えば昨今のMCUなんかは顕著だが、マルチヴァースや神様やらタイムキーパーやら、世界観(というかフランチャイズの寿命)を広げるやたらと壮大な設定作りばかりに焦点が当たり、肝心のドラマや演出がおざなりになってしまっている。酷い時には『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』や『ゴーストバスターズ/アフターライフ』など、「実はパルパティーンは生きていました」とか「実はイゴンには孫がいました」といった後付け設定によって続編としての正当性を担保する、ノスタルジアを悪用する卑怯なものも多い。

 

 そんな「設定病」を本作における「レクシィ」への異常なこだわりに感じた。本作では新たなる脅威としてギガノトサウルスが登場するが、T-REXより大きいというだけでこれといった特徴はない。その強さを見せつけるためか、「レクシィ」がギガノトサウルスに破れる描写が二度ほどあるが、ただ勝敗をつけるためだけの書き割り的な描写のために結果的にせっかく登場したギガノトサウルスもT-REXも中途半端な存在感になってしまっている。

 

 そもそも、シリーズを振り返ってみると「レクシィ」というT-REXは旧シリーズにおいてそこまで重要な個体ではなかった。もちろん、『ジュラシック・パーク』では人類が初めて遭遇するT-REXとして恐怖をもって描かれていたが、『ロスト・ワールド』で猛威を奮っていたT-REXは別個体であった。シリーズの顔が変わる『ジュラシック・パークIII』は賛否が分かれるところかもしれないが、スピノサウルスを最強の恐竜として見せつけるためにT-REXをいとも簡単に殺害する描写を挟み、以降はワニのように水中をスピーディーに泳いだり、印象的な衛星携帯の効果音と共に現れる残忍な恐竜として視聴者に強烈な印象を残すことに成功していた。

 

 が、リブート色の強い続編として『ジュラシック・ワールド』がその続編としての正当性を主張するために、「レクシィ」の存在は必要不可欠であった。一方、2015年の『ジュラシック・ワールド』が上手かったのはインドミナス・レックスという人工恐竜を生み出したことだ。圧倒的なヴィランが登場したからこそ、ヒーローたるレクシィがクライマックスで輝いたのであったが、今回のギガノトサウルスはインドミナスの役割を果たせていない。ただただ「設定」としてギガノトサウルスはT-REXより強い存在として描かれ、ただただ「設定」として「レクシィ」は戦わざるを得なかったのだ。

 

 しかし、ギガノトサウルスの印象が薄くなってしまったのも、これまた「設定」のせいだろう。初代『ジュラシック・パーク』のメインキャスト3人をわざわざ引っ張り出し、それぞれがこの空白の20年間何をしていたか「設定」を語る余地を与え、またクローン少女の「設定」も新たに登場したバイオシン社の「設定」にも時間を割かねばならず、そして恐竜では満足できなかったのか、新たなる脅威としてイナゴという「設定」まで飛び出した。すでに恐竜が世に放たれた時点で食物連鎖や生態系は十分破壊されたので、イナゴの存在が必要だったかは分からないが、しかし前作のトンデモな結末から連なる人間界に放たれた恐竜の「設定」自体は非常に曖昧で、解決する気もハナからないようだ。

 

 書き割り的な恐竜描写や人間ドラマを見て、鑑賞中思わず思い出したのはスピルバーグ時代の『ジュラシック・パーク』だ。ストーリーがもっと単純だった一方で、徹底的に全面に押し出されていたのは恐竜が人間を襲う際のサスペンスだった。雷雨の中、停車した車に足音と共に忍び寄るT-REX、キッチンで獲物となる子供たちを探るヴェロキラプトル、島で少女を襲うコンプソグナトゥス、T-REXから崖に突き落とされたトレーラーの中で、割れるガラスの上でなんとか落ちないように耐える人間たち…などなど、どのシーンも鮮明に覚えているが、スピルバーグが観客をハラハラさせることに特化していたからだろう。スピルバーグがうまかったのは、こういったサスペンスの中で人間ドラマを描くのが上手かったことで、非常に効率的に物語を語っていた。

 

 要は、現代に現れた恐竜の映画であれば、恐竜が人間を襲う描写を中心に構築すれば問題ないのだ。『新たな支配者』はシリーズ最長の上映時間にして、肝心の恐竜の影が薄くなってしまっている。残念なのは、『ジュラシック・ワールド』では出来ていたことが、ほぼ同じ製作陣で挑んだ本作で出来ていないことだ。

 

 ただ、辛口になってしまったので少し擁護するが、スパイ映画のような中盤のシーンなどは中々フレッシュで、そうはいってもやはり恐竜が見れたのは嬉しかったので、夏休み映画としては楽しんだ。そういう意味で★は2つにしておくけれど、30年近く続いたシリーズの終わりがこれで良いのか、という気持ちもある。あれ、これどっかのスペースオペラと似た食後感だな…。

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