映画製作と時間の虚しさ

 今参加している作品は7月に始まり、今月末でようやく撮影が終わる。おそらくこれから半年かけて編集してリリースされるのだろうが、その前にも企画や脚本執筆段階で長大な時間がかけられてきたはずだ。実際にハリウッド規模の作品に初めて参加してみて、改めて映像製作の時間の掛け方に驚かされた。笑っちゃうほど少ない予算で限られた時間の中で撮影を進めるインディーズ映画とは訳が違う。

 

 海外から来日したキースタッフはもう9ヶ月も滞在しており、スタッフの子供の中には流暢に日本語を話せるようになっている子もいる。長期にわたる映像製作は間違いなく参加したスタッフやキャストやその周りの人たちの人生に影響を与えている。

 

 が、1年以上かけて作られた作品も、映画なら2時間、10話の配信ドラマなら一晩かければ視聴者はすぐに見終えてしまう。場合によってはポップコーンやコーラを飲み食いしながら、家で見てるならトイレのために途中で中断したり、スマホを見ながら手軽に楽しんだりもするだろう。映像作りに費やされた時間に対し、映画やドラマという商品はほんの僅かな時間であっという間に消費されてしまう。

 

 この虚しさ、冷酷さ。元も子もないことを言うと、何も映画作りに限った話ではないだろう。手間暇をかけた料理だって客はあっという間に食い広げてしまうし、作家が長年かけて書いた小説も読書家なら即座に読んでしまう。創作物には何事にもエネルギーと時間がかかるが、消費するのは一瞬だ。文明が生まれてから存在する当たり前の事実なのだけれども、映像作品という莫大な資本・労力・時間がかけられた作品の一部となり、その途方もなさを改めて実感したのであった。