日本愛が苦しい『クリード/SHINJIDAI』

 最初に注意書きしておくが、この記事は絶賛公開中の『クリード/過去の逆襲』ではなく、日本公開版だけ特別に本編上映後に流れる短編アニメ『クリード SHINJIDAI』についてである。

 

 『クリード/過去の逆襲』はTwitterで感想を漁る限り、前2作と比べると賛否が分かれていると散見されるが、肯定派も否定派もエンドクレジット後のアニメを観てこう思ったに違いない。

 

 

 

 

「我々は一体何を観させられているんだ!?」



 思わず『クロマティ高校』みたいな顔になってしまうくらい気まずい作品で、僕は悪い意味で鑑賞中は鳥肌が立ってしまった。何が気まずいかって、本作は『クリード/過去の逆襲』を主演・監督・プロデュースしたマイケル・B・ジョーダンがアニメと日本文化が大好きだからこそ生まれたアニメであるからだ。日本で好きでいてくれることは日本人として嬉しいが、その熱狂的な愛が日本人だからこそ凄く気まずい。

 

 この感覚は何に近いだろう?と思うと、僕がアーカンソーで留学していた頃に僕に近づいてきた「アニメオタク」のアメリカ人たちだ。ご存知の通り、日本のアニメはK-POPと同じように世界中で知名度と人気を得ており、ど田舎では珍しい日本人の僕に彼らは目を輝かせて話しかけるのだ。

 

「What's up, SENPAI!SENPAIの一番好きなアニメは何?」

「日本の学校では気弱な男がモテて、ラッキースケベにいつも遭遇するのは何故だい?(学園アニメの影響)」

「今日アニメを観ていて新しい言葉を覚えたんだ!(声を低くして)NANI!?」

「俺の宗教は神道だぜ!」

 

 アニメコンテンツが海外でウケていることについて喜ばしく思う人は多いかもしれないが、僕は正直こういう輩に話しかけられるたびに迷惑だった。だって、彼らの「日本好き」って結構アイドル化した日本であり、アニメで得られた知識しかないので表層的で偏っているし、何より一番嫌だったのは日本オタクの彼らは僕が「僕という人間だから」近付きたいのではなくて、僕が「日本人だから」友達になりたいと思っているのだ。そしてまた厄介なのが、彼らは日本という国を凄く愛しているからこそ、こっちが申し訳ない気持ちにさせられるのだ。

 

 このブログで何回か書いたが、「Weeaboo(ウィアブー)」というスラングがある。平たくいうと「日本かぶれ」という意味だが、実態としてはもっと禍々しいというか、アニメや日本文化に熱中するあまり、日本カルチャーが他の文化よりも最も優れたものであると信じ、推しキャラを「Waifu」と呼んだり、なんだもかんでも文章の最後に「desu」をつけたり、イタい言動をする人を「Weeaboo」という。

 

 で、話が長くなってしまったが、『クリード/SHINJIDAI』の何が一番問題かって「Weeabooみ」を感じることだ。製作プロダクションこそ日本のアニメ会社だけれども、マイケル・B・ジョーダンがわざわざ日本語でナレーションしている「SHINJIDAI」とか、ステレオタイプにも程がある三味線を強調した曲とか限りなく表層的な日本文化表現だし、日本人なら誰しもがある程度の恥ずかしさを感じると思うのだけれども、一方で当のMBJが「カッコいい…」と思って作っている*1のが感じられるのがイタくてたまらない。

 

 『クリード/過去の逆襲』もアニメの影響が色濃いは公開前から喧伝されたが、そちらはまだあくまで『ロッキー』や『クリード』シリーズの一編としての体裁を保っており、アニメ的なアクション演出も新鮮な映像表現として受け取ることができた。が、『SHINJIDAI』レベルまでアニメ愛方面に全振りされ、しかも「日本の観客のために作りました!」と言われてしまうと、否定するのも申し訳ない複雑な気持ちになってしまうのだ。そして『SHINJIDAI』の一番の問題点はもう『ロッキー』も一切関係なくなってしまって、「僕は『ロッキー』サーガのの新作を見にきたんだけどなぁ…」という気持ちを最後に改めて強く抱かせてしまったことなんだよな。

 

 ということで、『クリード/過去の逆襲』面白いよ!

 

 

*1:しかもこれ、文化の剽窃感がでているのもちょっと残念…