「マリオがヒットしたのは、ポリコレに屈しなかったから」とは?

 『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』が歴史的大ヒットを叩き出しています。

 

 これは大変喜ばしいことなんですけど、日本での公開は世界でも最後の方で、海外から先に入ってくるレビューやヒット状況を耳に入ってくると、一部でこんな説が囁かれるようになりました。

「『ザ・スーパーマリオブラザース・ムービー』が批評家にはウケなかったけど、観客にウケて大ヒットしたのは、ポリコレに屈しなかったおかげ」

 

 これは、昨今のディズニー映画が有色人種やLGBTQ+のキャラクターを積極的に登場させてマイノリティに配慮したり、内容的にも説教的なものが多いにも関わらず、『バズ・ライトイヤー』や『ストレンジ・ワールド』など作品が立て続けにヒットしていない状況を揶揄しているのでしょう。「批評家にウケなかった」はRotten Tomatoesで59%を記録していた事を指していると思います。

 

 が、60%未満のレビュワーが肯定的な評価を下さなかったからかろうじて「腐った」評価になっているだけで、半数以上の評論家が肯定しているならそれは十分じゃないでしょうか?「批評家に酷評」などという文章も目にしましたが、ゲームが原作なので刺さらない人もいたかもしれませんが、Rotten Tomatoesを見る限り「酷評」とは程遠いと思います。(余談ですが、だから僕は映画を数値化して印象を与えてしまうRotten Tomatoesが嫌いなんですね)

 

 で、いざ日本で公開されて肝心の中身を見ても、原作通りの典型的な「姫を救出」する話では終わっておらず、むしろピーチ姫は自ら積極的に行動を起こす自立した女性として描かれてとても現代的でしたし、マリオとピーチは恋愛関係にならないしキスシーンだってないですし、今回の「姫」枠はルイージになっているのは十分ポリティカル・コレクトネスに配慮した内容になっていると思います。なんなら、ルイージが救出された時にはハートマークが出ちゃったりして、兄弟愛を全面に出してパロディにしているわけです。

 

 しかし、実際に公開されると「ポリコレ」云々いう話はあまり聞かなくなりました。とても不思議なんですが、あの声の大きい人たちは本作を見てどう思ったんでしょうね。優れた日本のコンテンツが欧米の「ポリコレ」なんかに屈しない、とでも思っているのでしょうか。ちなみに、僕は安易に「ポリコレ」と略する人たちが苦手です。