『フュリオサ』は温暖化と資本主義の成れの果てを描く。

 今日は『フュリオサ』2回目を観に行った。前回はIMAXレーザーでの鑑賞だったが、『フュリオサ』はIMAX認定カメラであるArri Alexa 65で撮影されているものの画角的にIMAXの恩恵を得られる作品ではなかったので、今度は音を大事にドルビーアトモスを選んだ。低音が素晴らしくてですね、お腹に響いて劇中2回トイレに抜けてしまったことはここだけの秘密だ!

 

 で、2回目なので画面の隅々に意識を集中するように心がけたのだけれども、まず冒頭の「母なる緑の大地」でチラッとだけ登場する集落で、全ての住居にソーラーパネルが付けられていることに気が付いた。さらに、画面の後ろの方では風力発電の風車まで映っていて、この荒廃した世界で「緑の地」だけ持続可能な社会が営まれていることを示している。ジョージ・ミラーが描く『マッドマックス』世界の解像度に僕はいたく感動したのだ。

 

 ジョージ・ミラーは『ハッピー・フィート』で地球温暖化に継承を鳴らしていて、気候変動にはかなり関心がある監督だと思う。見渡す限り砂漠が続くウェイストランドは戯画化されているかもしれないが、あの荒野は今我々が住んでいる地球が無策のまま辿ってしまった愚かな地続きの未来だ。対照的に「緑の地」は賢者達*1が守った地球最後の理想郷であり、あの世界で唯一健全に機能しているエコシステムなのだ。

 

 しかし、ウェイストランドが更なる深みをもたらすのは、シタデルが登場するからだ。シタデルにも「緑の地」と同様に豊かな緑や水資源がある。しかし、水や食料といった生活必需品は富裕層により独占されていて、システム化した格差社会でコミュニティを持続させている。地獄のような資本主義の成れの果てがシタデルなのだ。これは前作『怒りのデスロード』でも示されていたけれど、本作で遂に「緑の地」が映像化されて、その比較がより鮮明になった。

 

 僕が『怒りのデスロード』ならびに『フュリオサ』が本当に豊かだと思うのは、こういった社会構造まで浮かび上がらせてくれるからだ。話は少し変わるけど、去年ディズニーが100周年記念で放った駄作『ウィッシュ』では、あの王様が人々の願いを搾取する世界がどのように成立して持続しているのかが全く見えてこなかった。これがよくできたフィクションと出来の悪いフィクションの違いで、世界の描写力が天と地の差なのだ。

 

 

*1:正確には鉄馬達だけど