昨日一昨日と撮影現場だった。今撮影業界は繁忙期で、今まで2ndや3rdをやってきた僕が初めて1st ADで呼ばれたくらい人手が足りていない。出世といえば聞こえがいいかもしれないが、僕は自分が監督やる時以外に責任を負うのが好きではなく、2ndや3rdで1stの指示を無心で聞きながら働くくらいがちょうどいいのだ。
ということで、この2日間はちょいと緊張していたのだが、余計に緊張させたのは昔僕に大ギレしたスタッフがいたからだ。もう4年も前の仕事で、僕が日本に帰ってきて初めて参加したCMの仕事である。もちろん、僕も日本の撮影現場に慣れておらず酷くトロく、勝手が分からず空気も読めず、現場に迷惑をかけて反省することはたくさんあった。
ただ、やはり僕はNYの会社でもパワハラな毎日を送っていて、そこからやっと解放されたと思ったらまた人前で怒鳴られる経験をしたので、もう心底メンタル的に参った。深夜に撮影が終わり、彼女(今の嫁さん)の家へ行って顔を見た時に泣きたくなるくらい安心したのを今でも覚えている。3日間くらいの仕事だったが、毎日睡眠時間が酷く短かったのもキツさに拍車をかけた。これともう一つ別の現場で嫌な思いをし、僕は日本の撮影現場には絶対に入らないと心に決め、バイリンガルの現場のみ受注するようにしたのだ。
で、4年ぶりにそのスタッフと再開したのだ。最初はお互いに気付かず、初めましての挨拶をしたくらいだが、どこか見覚えのある顔だった。しかし、一緒に時間を過ごすうちに思い出し、僕はちょっとブルーな気持ちになっていた。時間が経つと向こうからも「あれ?前に一緒にどこかで仕事しましたよね?」と聞かれ、僕も観念して「ああ〜確かに!」なんて白々しく笑顔で答えた。ただでさえ緊張する初1stADの現場に、余計なプレッシャーがかかる。ただ、勝手に気まずくなっている僕に対して、先方は物凄くあっけらかんとしている。
根が人見知りの僕は、いつもだったらなるべくその人を避けて行動していただろう。でも、今回の僕は1stADである。1stADは各部署のスタッフと連携を取り、効率よく現場を回していくのが仕事なのだ。ここでビビっても何も解決しない。意を決した僕は、ネガティブな自分を一生懸命押し殺し、積極的にそのスタッフと会話をする覚悟を決めた。仕事の話もするし、冗談も言い合うし、昼飯を食べる時も話したし、将来的な夢の話もした。最後には仲良くなってLINEも交換するまでになり、固く握手してまた次の現場で!と挨拶をして別れた。
で、彼と話していて思ったのは、4年前に僕に怒鳴ったことは恐らくもう覚えていない。もしかしたら薄ら覚えていて気を使って気付かないフリをしていたかもしれないが、彼のキャリアは僕の4倍近くあるので、そんな些細なことを一々気にする訳がない。要するに、怒鳴られる方にとっては強烈な経験でも、怒鳴る方にとってはその程度のことなのだ。
勘違いしてほしくないが、僕はパワハラを許せというつもりもない。あの時僕が傷ついたのは間違いがないし、人前で怒鳴るという行為を見逃すと世の労働環境は改善しない。
一方で、相手を一生恨め、という主張もしない。ただ、過去の苦い体験をいつまでも背負うのは僕も辛いので、相手のためというよりは僕のために赦すと、一つの重い枷がとれて楽に慣れた気がする。4年前ただの雑用だった僕が1st ADとなり、あの時の自分とは確実に違う働きぶりを今回見せられたことも、精神的なゆとりを持てた一因だと思う。
…とここまで書いておいてなんだが、僕がNYの会社で2年間受けた傷は一生消える気はしない。あのクソ社長を今回と同じように許せ、と言われると無理だし、もし何かの間違いでもう一度社長に会うことになったら、向こうが覚えてなくても恨みを全てぶつけて謝罪を要求するだろう。心の傷の深さには度合いがあるし、身体の怪我と同じで完治するものもあれば一生痕が残るものもある。ただ、治せる傷があれば、その治した傷の数だけ自分の成長を実感し、不治の傷とのバランスを取っていけばいいんじゃないかな。