あの日々の僕は、この子のために

 僕がNYにいた2年間は端的に言って地獄だった。憧れのNYに移住できたと思っていたのに、勤めていた日系映像制作会社の社長のパワハラに苦しめられる日々だった。毎日怒鳴られ、「いつになったら使えるようになるんだ」などの心無い言葉をぶつけられながら、会社がビザをスポンサーしているので気軽に辞めることもできない。

 

 牢獄に閉じ込められたような気持ちで毎日を過ごしていて、今でも当時のことを思い出すと暗い気分になる。もう何にせよ自信がなかった。何をやっても怒られるようになると、何をやったらいいのかが分からなくなる。たとえば、撮影現場用のお菓子やジュースの買い出しという至極簡単なタスクでさえ、「間違った選択をしたら怒られるのではないか?」という恐怖で頭が回らなくなるのだ。自尊心が傷つけられまくった結果、僕は自分が仕事ができないやつだと思い込まされてしまった。

 

 さて、あれからなんだかんだあって日本に帰国して早4年が経った。当時の傷も大分癒え、経験も増え、現場の仲間も増えて大分自信を持って仕事に臨めるようになった。いつの間にか撮影現場を回せる立場にもなっていた。『スケッチブック』も始め、自分の創作意欲も満たし、まだ発展途上のキャリアとはいえ今が一番充実しているかもしれない。

 

 そんな中、先月末から昨日まで僕はとある映像作品の現場に参加していた。これが久々に結構ストレスフルな現場だったのだが、僕の直属の上司が僕の部下をひたすらパワハラしていたのだ。誤解なきよう言っておくと、僕には被害がなかった。というより、僕は上司からの信頼は感じていて、僕に対しては不気味なほど優しかったが、下の子への態度があまりにも酷かった。

 

 その子は今年映画系の大学を卒業したばかりで、ハッキリ言って現場に慣れていなかった。その時点で僕は仕方がないと思うし、しっかり教育すればいいだけの話なのだが、僕の上司は毎日のように彼を叱責した。彼がミスをするたびにネチネチと叱りつけ、現場のシーバーでも彼を怒鳴りつける声が全スタッフに響き渡った。人格否定も日常茶飯事で、彼がいないところでも僕に対して「あいつはこの仕事向いていないからやめた方がいいと思う」と20歳以上も下の人間について愚痴るのは本当にダサかったというか情けなかった。

 

 ただ、僕もハッキリと上司の態度を正すべきだったのかもしれないが、僕に矛先が向かう恐怖がやはり拭えず、「まだ新人なので仕方がないですよ」と宥めすかすのが精一杯だったのが悔やまれる。せめて僕が下の子に対して心掛けたことは、この現場をきっかけに彼が業界を辞めないように精一杯サポートすることだった。できない仕事を手伝ってあげたり、現場での動き方を教えてあげたり、自分のパワハラ経験からのメンタルケアの方法だったり。

 

 思い出されるのは僕が日本に帰ってきて初めてADとして働いた現場で、僕にAD業を教えてくれた先輩が初日にかけてくれた言葉だ。「Don't hold your grudges(恨みを抱えるな)」という言葉で、映像業界にはクソ野郎がたくさんいて、現場で嫌な目に遭うことはたくさんあるが、そういったネガティブな感情は全て現場に置いてきて家に帰ったら忘れろ、という意味だ。

 

 スタジオシステムが崩壊してからの日本の映像業界というのはフリーランスの集まりで、現場ごとに集められて解散する。嫌な人間が永遠に横にいるわけではなく、辛い仕事も時間が経てば終わるのだ。もちろんパワハラしてくる人間は論外だが、そんな一時的な現場のために、こっちが永遠にくよくよ悩む道理はない。だから恨みは現場に置いて帰るのが一番なのだ。

 

 そういったことを今回の地方ロケ時に、下の子が上司に叱られて落ち込んだ日に飲みに連れて行って諭してあげた。その時、僕はなぜ自分がパワハラに苦しめられてきたか、ようやく分かった気がしたのだ。僕は今回、この現場でこの子を助けてあげるために、あの地獄の日々があったんだな。あの頃、死にたい毎日を送っていたが、全く無駄ではなかった。

 

 さて、今朝早朝、ナイター撮影とともにこのストレスフルな現場も終わり、ザグミイは解散された。最後に新人くんが上司に挨拶しに行ったら「お前はこの業界向いてないよ」と言われたという。クソ野郎はいつまで経ってもクソ野郎だな。「上司に言われたことは一切気にするな。君は頑張っていたよ。またいつか同じ現場で働こう」と告げると、何か吹っ切れたような清々しさで「ありがとうございます」と返してくれた。この地獄のようなパワハラから、彼が解放されてよかったな。