最近『スケッチブック/SKITBOOK』で動画を出すたびに、「生成AIで作った動画では?」と疑うコメントが多いのが気になっている。


もう終わった事なので詳細は書かないが、昨日も『SKITBOOK』のTwitterアカウントに「生成AIを悪用している」と批判が来たので、「悪用も何も全くAI使ってないしな…」と事実と証拠に基づいて反論したら、想像していたよりも大きい騒動に発展して唖然としたけれども、なんでこんなにAIだと思われるのか不思議でならない。何が僕の動画をAIたらしめているのだろうか?
一つには、無駄に高い品質、というのはあるのかもしれない。よく驚かれるが、『スケッチブック』には最早個人の趣味の範疇を超えた予算をかけていて、実際に映像の制作現場で活躍するプロのスタッフや役者を雇って撮影している。僕はやはり映画に憧れているので、どのカットも映画みたいにカッチリ構図を決め、照明なども丁寧に組み立て撮影を行っている。自分で言うのもなんだが、うちと同じくらい小規模なYouTubeのコメディやバラエティチャンネルで、ここまで労力をかけて映像を作っている人はほとんどいないと断言できる。
が、映像のクオリティを追い求めた結果、そこにはある程度の「プロらしさ」や「映像商材っぽさ」が伴ってしまう。そしてここが問題なのだけれども、生成AIはネットにある膨大な広告動画や映画、ドラマなどのデータを参照に映像や画像を生み出しているわけで、プロが組み立てた照明の質感なども再現してしまう。下の画像は以前、僕がとあるコントのサムネイルをデザインする為にその案を生成してもらったものだが、人物の照明の質感とか、僕の言わんとしていることは分かっていただけるかと思う。

つまり、なるべく映像のクオリティを高めようとすればするほど、生成AIだと疑われる困った事態になっている。似たようなことはCGが全盛期だった時代にもあった。
僕が高校生だった頃、寮の食堂にあるテレビでとあるCMが流れた。確か清涼飲料水のCMだったと思うのだが、若者たちがピンポン玉を投げて、遠くにあるコップの中に玉が入ったことを喜ぶものだった。それを見ていた僕の同級生が「絶対にこれCGだよな!」などと誇らしげに言ってたのがイラッとしたのを覚えている。だって、これはリアルにチャレンジするからこそ広告のメッセージとして価値がある映像だったからだ。また、僕個人の目で見れば、映像の質感としても明らかにCGではなかった。
でもCGがどんどんリアルになっていた当時、どの映像が本物か偽物か、境界線が分かりにくくなりつつあった時代だったのは間違いない。映画においてもCGの表現手法はどんどん進化していて、迫力ある映像だと思ったらメイキングでCGだと知って驚いた作品がある一方で、逆に絶対にCGだと思ったアクションが本当のスタントで撮影されて驚愕した作品もある。
生成AI時代においては、フェイク動画がたくさん溢れかえっているのは事実で、ネットでふとしたときに流れてきた映像が本物かどうかを一考する余地が大事なのは間違いない。ただし一方で、本物の映像だったとしても自分が信じたくなければ簡単に偽物だと主張を押し通すことができるという、恐ろしいステージにいまや突入していて、一層なにが本物で偽物なのか判別しにくい時代になってしまった。
最後に、ジョーダン・ピールが7年前に制作した、ディープフェイクの恐ろしさを警鐘する映像をお見せしたい。怖さの種類が違うけれど、社会や人類にとって何が脅威か効果的に伝えられており、ある意味でこの頃からホラーの才能があったんだなぁ…。
