先週末に池袋のグランドシネマサンシャインのIMAXレーザーGTで『アバター:ファイヤー&アッシュ』を観ました。『アバター』シリーズといえば、僕は1作目を観た時は革新的な3D映像に感動したんですけども、13年ぶりの続編『ウェイ・オブ・ウォーター』に関しては「なんかほとんど同じ事やってるな…」とガッカリしたんですよね。
そして今回『ファイヤー・アンド・アッシュ』も予告編を観ている限りでは「また同じ話かよ…」と全然期待値が上がりませんでした。なんなら、今回はわずか3年のスパンでの続編ですからね。ジェームズ・キャメロンは全部で5作品作ると公言していますが、一体世の中にキャメロンご本人以外に誰がこの世界の話をそこまで観たいんだろう?とさえ思っていたんですよ。
ところがどっこい!昨日『ファイヤー・アンド・アッシュ』を観て、僕は自分でも驚くほど感動してしまいました。確かに、一見同じような話をまた繰り返しているようには見えるんですが、キャメロンが作り出したパンドラという世界の豊かさや深淵を感じれたんですね。
この3年の間に、自分の中で何がそんなに大きく変わったんだろう?と考えると、やはりAIが大きいと思います。生成AIの急速な発展により、文字を打ち込むだけで誰もがとんでもない映像を作れるようになりました。一方、クソみたいな無価値な映像も粗製濫造されるようになり、誰もが簡単に作れてしまうからこそ映像が持っていた真実性は希薄になりました。
また、映像業界へのリスペクトも失われたと思います。僕自身、デリカシーのない人から「AI時代に映像を作る意味なんかあるんですか?」と無神経な質問をぶつけられた事が何回もあります。実際、完全に全てをAIで制作されたCMや作品も増えました。
ただ、僕はこのブログで何回も書いているように、生成AIは所詮模倣しかできません。新しい表現や技術の革新は、常に人間の創造力によってのみ生み出されます。その一点において、AIが人間に追いつくことは一生あり得ません。これは映像に限らず、絵や音楽、文学や学問においても全てそうだと思います。
『ファイヤー・アンド・アッシュ』の映像表現は、まさにこの点において大変素晴らしいものでした。僕が特に息を呑んだのはアップになった時のCGキャラクターたちの表現でした。パフォーマンスキャプチャーにより、役者の繊細な表情筋を可能な限り取り込んでいることにより、CGで描かれているジェイクやネイティリの複雑な表情をリアルなものとして感じ取る事ができました。
パンドラの世界自体もそうで、草木の1本1本から生き物、水やRDA社の機械に至るまで、とてつもないリアリティです。もちろんベースは実写で撮影されてはいますが、実写部分とCGの境目が全く分かりませんでした。パンドラの実存を信じられたんですね。そして言わずもがな、こうしたCGは全て人間の手により生み出されたものであり、紛れもないアートなのです。
物語も繰り返されているものに見えて、やはりキャメロンが人生をかけて作り出しているだけあり、土台となる世界観の強さを感じます。1作目の時からナヴィ族の言語を学者に編み出してもらったりしていますが、映画内で描かれていない世界や文化の広がりを感じるのです。ルーカスは『スター・ウォーズ』で同様に一つのユニバースを作りましたが、キャメロンも『アバター』で同じ偉業を成し遂げたのです。
余談ですが、思い返せば僕が『アバター』1作目をみた当時、僕は浪人が決まった状態で映画館に足を運びました。僕が受験後時でクヨクヨ悩んでいたことに対してキャメロンが宇宙を一つ作り上げたことに対して大きく感動したのでした。今回も1作目と同じく壮大な世界を作り上げたことに対しての感動だったと思います。
『ファイヤー・アンド・アッシュ』は映像面でも物語面でも、AIにプロンプトを打ち込んでいるだけじゃ絶対に作れません。常に映像技術に革新を追い求めてきたキャメロンですが、AI時代に対して彼の矜持のようなものを感じました。流石『ターミネーター』を生み出した巨匠ですよ。いまだにジョン・コナーのつもりで機械と戦っているんですね。リスペクトしかありません。
