追憶売ります

 昨日クソ寒い中あんな薄着のゴーストバスターズの服着て出かけたせいで案の定風邪を引いてしまいましたよ…。鼻水が止まらなくてしんどい。社会人になっても一体何をやっているのだろうか。

 

 僕は日本の大学にいた時は4年間全く風邪を引いたことがなかったのに…というのはちょっと前までの僕の自慢だったのですが、気になって過去の記事を迫登って見ましたら、少なくとも半年前にも風邪を引いていたことがわかりました。

 

 さらに記事を遡ると、去年も2回も風邪を引いているし、もう金輪際自分は風邪に強いアピールをしないことをここに誓います。

 

 それにしても記録というものは恐ろしいですね、記憶の曖昧さゆえに長所にしていたものが、いとも簡単に崩されてしまうものですからね。よく政治家とか芸能人にやたらと超人アピールをしている人がいますが、案外彼らも自分の中で改竄された記憶を信じすぎてしまっているのかもしれませんね。なんか偉くフィリップ・K・ディック的な話になってきましたな!

 

 

今年は時間が無かったので…

毎年ハロウィンだけには本気出してたんですけど、今年は仕事で忙しかったのといつもメイクをしてくれていた友達がいないので、コスチュームだけで妥協しました。

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 まあ、ハロウィンの夜にお化け退治ということで…。

 

 

 

ドキュメンタリーは嘘をつく

 ここ数日仕事でとあるドキュメンタリー番組に関わっていたが、大変貴重で面白い体験だった。当然だが、ドキュメンタリーは真実をそのまま写す鏡ではない。そこには監督だったり番組の意図や主観はある。事前に大まかな構成があり、それに則ったゴールを目指して作られるので、演出やオチはあるわけだ。下手したら劇映画のように撮り直しがあったりカットを割ったりする。

 

 ただ、ドキュメンタリーが全くの嘘ややらせかと問われれば、それは違う*1。監督が伝えたいメッセージやテーマと、取材対象が持つ考えや哲学が相反してしまう時がある。そんな時、監督にとってきっと楽なのは、事前に質問内容と答えを打ち合わせしてそのまま言わせてしまうことだろう。白状すると、撮影現場の末端にいる僕は現場で生じていた齟齬に対して、少なくともそう短絡的に考えていた。

 

 しかし、実際にはカメラの回っていないところで監督と対象者の対話が長く続いていた。監督にとってAという答えに対して、対象者はBという答えしか持っていなかった時、二人はCという答えにたどり着く。強引にルートに嵌めていくのではなく、この弁証法的な対話がドキュメンタリーの肝であり、結局は監督の意図しなかった嬉しい結末に落とし込めるからこそ、ドキュメンタリーは面白いのだ。

 

 見ていない作品のことをあれこれは言いたくないが、今年某ドキュメンタリー作品がキャストと監督の怨恨によって大炎上した。この二人の間に納得のいく対話はあったのだろうか。 

ドキュメンタリーは嘘をつく

ドキュメンタリーは嘘をつく

 

 

*1:もちろん、主観がいきすぎたあまり真実を歪曲しすぎてしまうドキュメンタリーはいくらでもあるとは思う

ただ騒ぎたいだけだろ!

 今週末は仕事で、会社の車を運転している。今日もクライアントの方々をホテルへおろし、自宅のある近所へ。NYは基本路駐だが、休日だというのに車の数が多くて停められない。家は目と鼻の先なのに全然帰れない状況にイライラしたが、歩行者がほとんど仮装しているのを見てハロウィンの週末だと気がついた。どこもかしこもホームパーティを開いているのだ。

 

 仕方なく家から若干離れた場所に停めてトボトボ歩いて帰る。本当にどこもかしこもハロウィンの装飾を施していて楽しそうだ。僕もハロウィンは大好きで例年仮装しているが、今年は楽しめるだろうか…。

 

 家に帰りつくと、オレンジと紫のカラーリングが施された隣の家から爆音で音楽が流れてくる。でもよく聞くとハロウィンとは全く関係ないアコーディオンが響くラテン系音楽。どうやらヒスパニックの人たちがパーティーを開いているようだが、君たちはハロウィンにかこつけて騒ぎたいだけだろ!