今アメリカが文字通り燃えている。FacebookやInstagramで見るアメリカ人の友達の投稿も全てブラック・ライブズ・マター運動に関わるものばかりだ。これまでも「ブラック・ライブズ・マター」は盛り上がりを何度か見せていたが、今回の規模は今までと桁外れに違う。
僕は2015年から今年の初めまでアメリカに住んでいたが、ハリウッド映画のテーマとしても「ブラック・ライブズ・マター」はトレンドだった。映画は社会を映す鏡なので当然だ。黒人が運転をしている車を、警察官が停車するように要求するシーンは、もはや「これから悪いことが起きる」ことを示す記号として機能するようになった。
ある時、予告編でこのシーンを流している映画に対して、前に座っていた白人男性客が「またこういう映画かよ」とでも言いたげに肩をすくめている所を目撃した。これは保守的なアーカンソーではなく、リベラルとされるNYの劇場での出来事だ。彼の仕草はこの問題の根深さを象徴していた。
ニュースを見ても、アメリカでどうしてこのような事態に発展したのか、いまいちよくわからない人も多いだろう。下手したら「やっぱり黒人って暴力的で怖いよね」などとあらぬ方向に思考が向く人もいるかもしれない。そこで今回は、僕が実際にアメリカの劇場で見た「ブラック・ライブズ・マター」運動の中で生まれた映画を紹介する。今や日本で配信されている作品も多いので、読者の皆さんの理解を深める助けになれればと思う。可能な限り、視聴できるリンクも添付した。
『ヘイト・ユー・ギブ』(2018)
同盟ヤングアダルト小説の実写化。16歳の少女スターは、黒人が多く住む貧困街に住んでいるが、子の安全を案じた両親の計らいで裕福な白人の子たちと一緒に私立高校に通う。二つのコミュニティを行き来していることに、若干の居心地の悪さを感じていたスターだったが、たまに窮屈な制服を脱ぎ捨て、地元の黒人の友達たちと遊ぶことを息抜きとしていた。
ある日、幼馴染のカリと一緒にパーティーに顔を出し、カリが家まで送ってくれることになった。しかし、帰路で「指示器を出さずに斜線を変えた」という理由でパトカーに止められた。警察官が免許証をチェックしている間、カリは車に手をついて外に出ることを要求される。極度に緊張しているスターを落ち着かせようと、お調子者のカリはダッシュボードにあるヘアブラシを取ろうとした瞬間、銃と見間違えた警察官に射殺されてしまうーー。
フィクション小説がベースだが、ここ数年起きた警察による不当な黒人射殺事件を集約して描いており、「ブラック・ライブズ・マター」運動を学ぶためには一番基本的な教材だと思う。劇中を通してスターは人権運動に巻き込まれていくが、印象的なのはスターが通う「リベラル」な白人学校の生徒たちが、授業をボイコットする口実にデモを利用することだ。今現実にアメリカで起きているデモでも、黒人以上に騒ぎに託けて大騒ぎする白人の存在が問題となっていて、黒人たちにとっては差別主義者と同等に迷惑な存在であることは間違いない。
なお、原題の『The Hate U Give』は、ラッパーの故2パックが残した名言から取られている。「The Hate U Give Little Infant Fucks Everyone (THUG LIFE)」の略で、「幼子に憎しみを与えると社会をダメにする」という意味で、憎しみの連鎖を断ち切る本作のテーマに密接に絡んでいる。
トランプは今回の暴動を起こした人をまとめて「Thugs(ゴロツキ)」と読んで批判しているが、トゥーパックが提示した「THUG LIFE(ゴロツキの人生)」は元々このように含蓄のある言葉だった。『ヘイト・ユー・ギブ』は本来での意味での「THUG LIFE」を取り戻す映画になっている。
『デトロイト』(2017)
キャスリン・ビグロー姉御が、まさに「ブラック・ライブズ・マター」の高まりを受けて急ピッチで製作した、とてつもない緊張感の大傑作。『ヘイト・ユー・ギブ』で大体の流れを押さえたら、本作で暴力の歴史を学んでほしい。
『デトロイト』は1967年のデトロイト暴動中に起きた事件を描いた実録映画だ。1960年代、全米で人種間の緊張が高まり、暴動相次いでいた。人口過密な居住区に追いやられた黒人労働者たちが住んでいたデトロイトでも、違法酒場を摘発した白人警察官に群衆が投石したことをきっかけに暴動が始まった。
この暴動の最中、ザ・ドラマティックスというR&Bグループがデトロイトを訪れていたいた。コンサートをする予定だったが、暴動のため中断され、メンバーは離れ離れになった。ボーカルのラリー・リードとその友人フレッド・テンプルは、デトロイト市内にあるアルジェモーテルでやり過ごすことにしたが、このモーテルに「州兵への狙撃手が滞在している」との通報を受けたデトロイト市警が、宿泊客を不当に尋問するーー。
2時間半ほど尺がある映画だが、デトロイト市警による拷問パートの圧力が凄まじく、警察による不当な暴力をまるでVRのように体感することができる。腹立たしいのは、警察はあくまで自身を正義の番人と信じてやまず、己の行為を正当化する為にはどんな不正も厭わないし、この光景は50年間まるで変わっていない。この映画で目撃する事態は、今全米各所で起きている。
なお、この映画が公開された2017年8月、シャーロットでは白人至上主義者たちのデモとカウンターによる衝突が起きていた。暴力の連鎖は繰り返す。
『ゲットアウト』(2017)
お笑いコンビ「キー&ピール」の片割れ、ジョーダン・ピールの監督デビュー作であるホラー映画。キー&ピールは人種ジョークをウリにしたスケッチ(コント)で出世したが、まさに彼らの一編を映画化したような作品だった。
黒人であるクリスは、白人のローズ・アーミテージと付き合っているが、彼女の両親に会いにいくことになり不安を抱える。ローズは自分の両親は「オバマ支持者だから大丈夫」というので、信じて実家を訪れてみると、確かに彼女の両親はとても人が良さそうだ。しかし、父親はやたらと黒人の味方を気取るし、彼女の弟は口調がキツイし、何より家に黒人の召使いが二人もいることに非常に居心地の悪さを抱えていた。
翌日、アーミテージ邸には近所の裕福な白人たちが集っていた。ローズはクリスを紹介して回るが、客人達は「黒人は運動神経がいい」「黒人はセックスがすごい」「今の時代のトレンドは黒人だ」など更に居心地の悪いことばかりいう。クリスはそんな集団の中に黒人の客を一人見つけて思わず安堵するが、その黒人客は「ここから逃げろ!(ゲットアウト)」と不気味なことをクリスに伝えるのだったーー。
本作では「不吉の象徴」であるパトカーが二度登場する。冒頭、ローズとクリスが乗る車が事故を起こし、駆けつけた警察官が助手席に座っていただけのクリスに免許証の提示を求めるのはもちろん、昨今の社会問題を捉えてのことだ。
もう一つ、『ゲットアウト』が他の人種差別を扱った作品と比べて捻ってあるのは、本作の敵を典型的なネオナチの白人至上主義者にせず、裕福でリベラルな白人層にしたことだ。「黒人は足が速い」「黒人は歌が上手い」「黒人は筋力がある」などと述べ、一見自身は黒人への理解があるように振る舞うも、実のところ黒人をステレオタイプに当てはめているだけであり、結局居心地の悪い思いをさせているリベラル層の偽善を、ジョーダン・ピールは巧妙にホラーとして描いた。
なお、本作で二度目に登場するパトカーはネタバレになるので言及は差し控える。が、冒頭での登場した時のシーンと比較すると非常に興味深い登場の仕方となっているので、注目してほしい。
『QUEEN & SLIM』(2019)
なるべく日本で視聴可能な作品を取り上げるようにしてきたが、本作のみ去年全米公開されたばかりでまだ日本公開が決まっていない。しかし、非常にパワフルでエモーショナルな作品であることは間違い無いので、もし公開が決まったら是非観ていただきたい。
出会い系アプリで出会ったクイーンとスリムは初デートをしたが、会話が全く弾まず、気まずいまま終わってしまう。スリムはクイーンを家に送るが、道中で警察に停められる。不当にトランクを開けるように求められ、「寒いので早くしてくれないか」とスリムが頼むと警察官は激昂し、銃を向ける。クイーンが車から出てきて警察官を止めようとすると、警察官は銃を発砲しクイーンの足に当たってしまう。彼女を救う為にスリムは警察官と揉み合い、スリムは間違えて警察官を射殺してしまう。
呆然とするスリムであったが、クイーンは自身が被告人弁護士であるからこそ、黒人による正当防衛は認めらないことを悟り、自分たちは終身刑になると告げ、このまま逃亡することを提案する。スリムとクイーンはオハイオからニューオーリンズまで逃避行を続けるが、やがて二人はアメリカ社会から「現代のボニーとクライド」と神格化されるーー。
ジョーダン・ピールは「敵はシステム」と語ったが、本作でのクイーンとスリムの敵も巨大な社会システムだ。黒人から圧倒的に不利な社会においては、自身の正当性は認められることは非常に困難であり、非常に頑迷なシステム故に変革には膨大な年月がかかることだろう。クイーンとスリムに残された唯一の選択肢は「逃亡」であったが、彼らが逃避行で味わう儚い幸せが切なくも美しい。
『ブラック・クランズマン』(2018)
白人至上主義団体KKKの潜入捜査に、黒人とユダヤ人の刑事コンビが挑んだーーという、嘘みたいな実話の映画化。舞台は1970年代のコロラド・スピリングスで、市の史上初めて黒人警察官ロンが警察署に配属されるところから始まる。
情報部に配属されたロンは、ある日KKKの新聞広告を見つけ、白人訛りの声で電話をかけ、言葉巧みにKKKの幹部との面会を取り付ける。しかし、当然黒人の自分は潜入できないので、同僚のユダヤ人であるフリップ・ジマーマンと手を組んで一人二役で潜入捜査を開始するーー。
「ブラック・ライブズ・マター」運動の高まりと、世界の極右化の流れは荷車の両輪のように相関しているだろう。本作で特筆すべきなのは、スパイク・リー御大の現政権への怒りが溢れ出ているエンディングだ。昨今の実話モノ映画は、エンディングでとってつけたかのように主題となった登場人物の「その後」がテロップとともに表示されるのが主流だが、スパイク・リー御大はエンディングでこの映画は終わっておらず、現代まで続いていることを示す。この「物語」に終わりは来るのだろうか。
『サウスパーク』S17E3「ジマーマンの運命」(2013)
映画ではないが、最後に紹介するのは、当ブログではおなじみの『サウスパーク』。「ブラック・ライブズ・マター」が生まれた2013年、早くもトレイ・パーカーとマット・ストーンは番組内にトピックとして取り上げていた。
このエピソード内ではカートマンは夜な夜な悪夢にうなされていた。『ワールド・ウォーZ』の世界で、怒り狂った黒人たちに襲われる夢だ。その夢を真に受けたカートマンとバカなサウスパーク界の人類によって、世界はパニックに陥るが、カートマンはこの事態を救える救世主として「ジョージ・ジマーマン」に会いに行く。
ジョージ・ジマーマンとは、フロリダ州サンフォードで17歳の黒人高校生だったトレイヴォン・マーティンを射殺した容疑者だ。マーティンは親戚を訪れる途中で、武器も全く所持していなかったにも関わらず、ジマーマンの正当防衛が認められ、無罪が宣告された。このエピソードが出たのは2013年であり、あれから7年たっても全く類似の事件が減らないことには驚かされる。いや、それを言うならば、200年以上経っても、か。
もちろん、近年「ブラック・ライブズ・マター」問題を取り上げた映画はこの5本だけに収まらないし、今回の事件を受けて今後もより増えて行くことは間違いないだろう。
そして、我々日本に住んでいる者としてできることは、これを決して「対岸の火事」として捉えないことだ。なぜならば、差別は日本国内にも存在しており、警察や権力者に不当な扱いを受けている人は数えきれない。社会を構成する一員として当事者意識を持ち、相互理解を深めることが何よりも重要なのだ。
この記事が、皆さんの「ブラック・ライブズ・マター」への関心を高めてくれることを切に願う。