DCエクステンデッド・ユニバースの総決算『ジャスティス・リーグ』を前夜上映で鑑賞。監督は『マン・オブ・スティール』『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』*1のザック・スナイダー、脚本は『アルゴ』『バットマンVSスーパーマン』のクリス・テリオ、『アベンジャーズ』のジョス・ウィードン、音楽は『バットマン』『スパイダーマン』のダニー・エルフマン。ベン・アフレック、ガル・ガドット、エズラ・ミラー、ジェイソン・モモア、レイ・フィッシャーらが地球を守る超人チームを演じる。
映画界を席巻する勢いのマーベルト比べ、DCは苦渋の戦いが続いている。そんなイメージが先行してか、DCキャラクター勢揃いとなる本作は批評家の評価も興行収入も振るわないようだが、僕には何故こんなに嫌われているかさっぱりわからない。『ジャスティス・リーグ』はワーナー・ブラザースが過去作への批判を徹底的に反省・改善した、少なくとも全DCEU作品の中では最も鑑賞ストレスの少ない作品だったからである。
ライバルのMCUがケヴィン・ファイギというブレーンの元で毎作品雇われた監督がファイギないしはマーベルスタジオの設計図を忠実に再現することに腐心するように、昨今主流のシェアードユニバース型の映画シリーズではスタジオやプロデューサーが絶対的な権力を握る。DCEUは更にスタジオのテコ入れが顕著であり、『バットマンVスーパーマン』では監督が意図したR指定バージョンを大幅に切ってツギハギ編集の物を公開し、『スーサイド・スクワッド』*2では勝手にポップ調の編集を加え、評判が良かった『ワンダーウーマン』でも作品のトーンを合わせるための追撮・再編集が行われワンダーウーマンが剣を忘れるという間抜けなシークエンスが生まれた。
生憎ワーナーにはマーベルのような絶妙なバランス感覚はなく、同時に各作品の監督も非常に個性の強い作家性を持ち合わせているために、スタジオが介入すればするほど作品としては不恰好なものとなった。だからと言っては各監督に任せていてもDCEUとしてのカラーはブレブレになるというジレンマを抱える。ワーナーにはマーベルにとってのケヴィン・ファイギのような、コントロール力に長けるリーダーがいないのが欠点であった。
DCEUの集大成となる『ジャスティス・リーグ』ではこれまでのような過ちを繰り返すことは出来ない。そこで呼ばれたのが当のライバルであるマーベルの『アベンジャーズ』を盛り上げたジョス・ウィードンであった。元々ウィードンはザック・スナイダーにより追加撮影シーンの脚本直しのために呼ばれていたが、偶然にもスナイダーの身内の不幸が重なり*3、ジョス・ウィードンがポストプロダクションおよび追加撮影を全面的に指揮することになった。
ジョス・ウィドンの追加撮影部分は完成作品のおよそ20%程だと言われ、実際の作品内のどの部分がジョス・ウィドンが担当したのかは分かってはいない。ただし、確かに『ジャスティス・リーグ』はこれまでのDCEU作品は最も見やすい作品に仕上がっていた。
相変わらず曇天な空、暗い場所を好んだ画映えのしないアクションなどに変わりはないが、『マン・オブ・スティール』『バットマンVSスーパーマン』と比べると大分シリアスな雰囲気は鳴りを潜め、楽観的で軽快な作品となっている。色彩のトーンもザック・スナイダーの過去作品と比較してもずっと鮮やかで、よりアメコミの世界観が現れている。笑えるジョークも大幅に加わり随分とユーモラスな作品に変わり、特にフラッシュ/バリー・アレン(エズラ・ミラー)のコメディレリーフな役割は最高だ。音楽だって、往年のDC/ワーナー映画のテーマ曲を使用していて旧作ファンへの目配せも完璧。*4。プロットも誰が何の目的のために動いているかが分かりにくかった『バットマンVSスーパーマン』と比べて非常にシンプルで分かりやすい。
『ジャスティス・リーグ』は欠点を補っているだけでなく、過去作の長所も更に伸ばしている。『マン・オブ・スティール』『バットマンVSスーパーマン』よろしくスーパーヒーローたちがドッカンドッカン器物破損しながら戦うのは痛快*5で、『スーサイド・スクワッド』のように既成曲を使っているのはカッコいいし、当然DCEUで抜きん出て人気のあるワンダーウーマンの見せ場も作っていて盛り上がる。
かように『ジャスティス・リーグ』はとにかく観客を喜ばせることに特化し、鑑賞ストレスをできるだけ取り払うように作られた映画で娯楽作としては申し分ない。上映時間すら2時間未満にする徹底っぷりだ。僕は全DCEU作品を劇場で観ているが、観客の反応もこれまでで一番良かったと思う。
ところが、鑑賞ストレスが無ければいい、というものでもないのがこれまた映画の難しいところだ。『ジャスティス・リーグ』はザック・スナイダーという強い作家監督の個性をジョス・ウィドンのバランス感覚で抑えた作品である。確かに観やすい作品となったが、逆にDCEUの不思議な魅力となっていたアンバランスさが消えてしまったのは一抹の物足りなさを感じる。ザック・スナイダーが語る神話性、デビッド・エアーが持っていた野蛮さや毒気、パティ・ジェンキンスのフェミニズムなど作品のバランスを崩しかねない彼らの強い作家性は、不恰好に見えようとも確かにマーベルには無い「色」ではあった。それに比べると『ジャスティス・リーグ』は比較的無味無臭なのが気になるところだ。
余談ではあるが、本作が「見やすさ」に力を入れすぎている証拠に、物事が上手く運びすぎている点も挙げられる。一度バラバラになりかけたチームが挫折的な失敗を経験することでより絆を強くする展開はチーム物映画の王道にしてカタルシスを増幅させるエッセンスだ。多少なりともテンポが悪くなろうとも挫折はチームが一丸となるためには必要不可欠なプロセスだ。『ジャスティス・リーグ』はスムーズな物語進行を求めすぎたが故に逆にその重要なプロセスを書いてしまっていることは欠点だ。
批評的に失敗続きだったDCEUにとって、『ジャスティス・リーグ』が大本命だったことは理解できる。そして今回のワーナーのテコ入れはマーベルのような痛快娯楽作を生み出すことに成功はしている。ただし、マーベルに寄せていってしまったらDCEUとしての個性がなくなってしまうので、その見せ方は今後の課題となっていくだろう。
Justice League: The Art of the Film
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また、ザック・スナイダーは3月頃に娘を亡くしたとの報だが、3月を振り返ると『ジャスティス・リーグ』予告編第一弾が月末に出ている…。僕含む映画ファンがあーだこーだ言ってる裏でザックとワーナーがこうした悲劇を秘密裏に抱えていたことを思うと胸が痛くなる一方プロってすげーな…と思う。
— Taiyaki (@HKtaiyaki) 2017年5月22日
元の記事を読むと、当初ザック・スナイダーは悲劇の後も作業に没頭することで自分を保とうとしていたらしいが、結局自分を必要とする家族と過ごすことを選択したというインタビューが泣ける…https://t.co/2CQU8gk9iu
— Taiyaki (@HKtaiyaki) 2017年5月22日
何よりも好きな映画よりも家族を選ぶ決断を下したザック・スナイダーのこの発言が泣ける…。>「ファンが映画を心配することは分かっているが、私には私を必要とする7人の子供達がいる。結局はただの映画だ。偉大な映画だ。でも、ただの映画なんだ。」
— Taiyaki (@HKtaiyaki) 2017年5月22日